1. カンファレンス鑑定の評価と「3対1」の意見を巡る考察
本件は、東京地裁医療集中部においてカンファレンス鑑定が実施され、4人の医師が鑑定人に選任された事案です。
裁判所が複数鑑定人の意見をどのように比較・評価して結論を導いたかという点で、実務上興味深い内容を含んでいます。
注目すべきは、因果関係(高度の蓋然性)の判断過程です。
選任された4人の鑑定人のうち、3人(J、K、M鑑定人)は、適切な時期に入れ替えを行っていれば死亡を回避できた可能性が高いとして予後改善の可能性に肯定的な見解を示していました。
これに対し、1人(N鑑定人)のみが、患者の高齢性や併存疾患などの複合的リスクを理由に予後が変わったと断定できないとの慎重意見を述べました。
本来のカンファレンス鑑定が複数医師の協議を通じて医学的妥当性を見定める手続きであることを踏まえれば、4人中3人の鑑定人が一致して述べた肯定的な意見は、臨床医学的にも十分に重きを置かれるべきものであったと言えます。
裁判所が1人の慎重意見(N鑑定人)を採用して高度の蓋然性を否定した判断には、臨床的実感との乖離(かいり)や、悩ましさを感じざるを得ず、法的立証のハードルの高さを改めて実感させられます。
個別のリスク因子に光を当てた慎重論を取り上げた点には、裁判所なりの厳格な審理姿勢が示されているとも言えるでしょう。
2. 高度の蓋然性が否定されても責任は肯定され得る
一方で、本件が臨床現場に投げかけるメッセージは別にあるとも言えます。
それは、患者にさまざまな基礎疾患や複雑な背景があり、過失と死亡結果との間の「高度の蓋然性」まで証明されない場合であっても、医師や医療機関は法的責任を問われ得るという点です。
救命できた高度の蓋然性までは証明できないという事実は、死亡そのものの全額賠償を否定する理由にはなっても、医療介入の遅れや不適切さに対する責任まで一切免れるものではありません。
本判決においても、裁判所は生存の相当程度の可能性の侵害を認め、計660万円の損害賠償責任を認めました。
多角的なリスクを抱える患者の治療においては、デバイスの留置期間や感染兆候を慎重に観察し、適切なタイミングで入れ替えや抜去を行うことが求められ、適切な観察・治療を怠れば相応の法的責任を免れないことが示されたと言えます。
3. 「生存の相当程度の可能性」の理論がもたらす法的示唆
最高裁平成12年9月22日判決が確立した「生存の相当程度の可能性」の理論は、過失と死亡との直接の因果関係(高度の蓋然性)の立証が困難な医療訴訟において、患者救済の道を開く役割を果たしてきました。
高度の蓋然性には届かなくとも、適切な医療が行われていれば生存していた相当程度の可能性が立証できれば一定の責任を認めるこの理論は、患者側の立証ハードルの高さを補完する現実的な救済機能を有しています。
しかしその一方で、この理論の運用には実務上の繊細な課題も示唆されます。
それは、本来であれば全額賠償(高度の蓋然性)の認定が検討されるべき過失明白な事案においても、結果回避の不確実性がわずかでも介在すると、裁判所が高度の蓋然性の認定をちゅうちょし、慰謝料請求(相当程度の可能性)にとどまる定量的認定へとなだらかに傾斜してしまうのではないかという懸念です。
いわば、救済の選択肢を広げる一方で、高度の蓋然性のハードルを実質的に強固にするという二面性を持ち合わせているとも言えます。
高齢で心不全等の多様な背景を抱えていた本件において、裁判所としても高度の蓋然性の認定に慎重姿勢をとらざるを得ない背景があったことは推察されます。
しかし、カンファレンス鑑定に至るほど争われる中、鑑定人医師4人中3人が肯定的な所見を示した中で、あえて慎重論を取り高度の蓋然性を否定した裁判所の判断には、多数決によらない法的認定の厳格さと、そのはざまで妥当な解決を模索した葛藤の深さが示されているように思えます。
複雑な臨床経過と高度な立証規範が交錯する医療訴訟において、どこまでを結果の責任とし、どこまでを可能性の侵害と捉えるか。
本判決は、臨床の現実と法的責任の境界線について、いま一度深く考えさせる思索に富んだ示唆を与えてくれています。