一時的ペースメーカーの長期留置・入れ替え遅延と「生存の相当程度の可能性」

vol.280

永久ペースメーカーへの適切な入れ替えを怠った医師の過失を認め、死亡との高度の蓋然(がいぜん)性は否定しつつも「生存の相当程度の可能性」を認めて賠償責任を肯定した裁判例

東京地方裁判所 令和3年2月19日判決 平成27年(ワ)第24420号 損害賠償請求事件(D1-Law.com判例体系掲載)
医療問題弁護団 笹川 麻利恵 弁護士

* 裁判例の選択は、医療者側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場を取らせていただいております。

事件内容

患者A(当時82歳の女性)は、完全房室ブロックとうっ血性心不全のため平成25年5月21日に被告病院へ救急搬送され、担当医Bにより一時的ペースメーカーが挿入された。

その後、薬剤性のスティーブンス・ジョンソン症候群を併発しつつも、6月上旬には食事摂取や談笑が可能となるなど全身状態は一定程度改善した。

しかし、B医師は、一時的ペースメーカーを約1カ月留置し続け永久ペースメーカーへの入れ替えをせず、さらに挿入部に感染の四大兆候の一つである発赤が出現した6月22日以降も抜去を行わなかった。

Aは発熱・炎症反応の上昇を示し、挿入部からMRSAが検出され、敗血症・肺炎へ進展した。

Aは7月8日、MRSA肺炎により死亡した。

Aの相続人(子3人)が原告となり、[1]一時的ペースメーカーの長期留置、[2]永久ペースメーカーへの早期入れ替えの不実施、[3]感染兆候後の抜去遅れを注意義務違反であるとして損害賠償を請求した事案である。

判決

本件ではカンファレンス鑑定が実施され、4人の医師(J、K、M、N)が鑑定人に選任されて意見を述べ、判決文においてもこれら各鑑定人の医学的意見の評価が大きな争点となった。

主な争点は、[1]永久ペースメーカーへの入れ替え、感染兆候出現後の一時的ペースメーカーの抜去に関する注意義務違反の有無、[2]過失とAの死亡との間の因果関係(高度の蓋然性)の有無、[3]過失がなかったならばAが同時点においてなお生存していた相当程度の可能性の有無および損害額であった。

第1 過失(注意義務違反)

1. 原告らは、一時的ペースメーカー挿入後、可及的速やかに永久ペースメーカーに入れ替えるべき注意義務を怠ったこと、および挿入部に感染兆候が現れた時点で直ちに一時的ペースメーカーを抜去・交換すべき注意義務などを怠ったと主張した。

これに対し被告らは、Aの全身状態や感染リスク等に鑑み入れ替えは困難であり、適正な管理を行っていた等と反論した。

2. 裁判所は、一時的ペースメーカーの1週間ごとの定期交換義務については感染抑制の客観的裏付けがないとして否定したものの、以下の二つの注意義務違反は認めた。

(1)永久ペースメーカーへの入れ替え遅延
一時的ペースメーカー挿入から1週間を目安に可能な限り早期に永久ペースメーカーへ移行すべきであり、患者の全身状態が比較的安定していた6月12日以降速やかに永久ペースメーカーに入れ替えるべきで、遅くとも6月19日までには入れ替える注意義務があったのにこれを怠ったと認めた。

(2)感染兆候出現後の一時的ペースメーカー抜去怠慢
一時的ペースメーカーは感染が疑われる場合には抜去・交換する必要があり、挿入部に感染の四大兆候の一つである発赤が認められた遅くとも6月22日までに一時的ペースメーカーを抜去すべき注意義務があったにもかかわらずこれを怠ったと認めた。

第2 死亡との間の因果関係(高度の蓋然性)

1. 原告らは、適切な時期に永久ペースメーカーへの入れ替え等が行われていれば、MRSA肺炎による死亡は回避できたとして、死亡との因果関係(高度の蓋然性)を主張した。

2. カンファレンス鑑定において、J、K、Mの3人の鑑定人は、自らの臨床経験に基づき、適切な時期に入れ替えを行っていれば予後が変わり、死亡という結果を避けられた可能性が高いまたは避けることができた旨の肯定的な意見を述べた。

しかし、N鑑定人は、Aが高齢で複雑な背景や重複する基礎疾患・リスク因子を抱えていた状況を考慮し、調子の良かった時期に入れ替えを行ったとしても予後が変わったと断定することはできないと慎重な意見を述べた。

3. 裁判所は、N鑑定人の意見について、Aが抱えていた種々のリスクを勘案した上での意見と評価できるとし、3人の鑑定人が肯定的な意見を述べていることを踏まえてもなお、早期入れ替えにより死亡を避けることができたかは不明であるとして、過失と死亡との間の高度の蓋然性に基づく因果関係を否定した。

第3 生存の相当程度の可能性と損害

一方で裁判所は、最高裁判所平成12年9月22日第二小法廷判決の、「医師が過失により医療水準にかなった医療を行わなかったことと患者の死亡との間の因果関係の存在は証明されないが、上記医療行為が行われていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明される場合には、医師は、患者が上記可能性を侵害されたことによって被った損害を賠償すべき不法行為責任を負う」との判示を引用・適用し、検討を行った。

6月19日までに永久ペースメーカーに入れ替えていれば、カテーテル感染やMRSA肺炎の重症化を防ぎ、Aが7月8日の死亡時点でなお生存していた相当程度の可能性が認められるとした。

損害額については、生存の相当程度の可能性を侵害されたことに対する本人分の精神的慰謝料を600万円と認め、これに弁護士費用1割を加えた合計660万円のうち、原告らの相続分(各4分の1)に応じた損害金として、各165万円(計495万円および遅延損害金)の支払いを命じた。

裁判例に学ぶ

1. カンファレンス鑑定の評価と「3対1」の意見を巡る考察

本件は、東京地裁医療集中部においてカンファレンス鑑定が実施され、4人の医師が鑑定人に選任された事案です。

裁判所が複数鑑定人の意見をどのように比較・評価して結論を導いたかという点で、実務上興味深い内容を含んでいます。

注目すべきは、因果関係(高度の蓋然性)の判断過程です。

選任された4人の鑑定人のうち、3人(J、K、M鑑定人)は、適切な時期に入れ替えを行っていれば死亡を回避できた可能性が高いとして予後改善の可能性に肯定的な見解を示していました。

これに対し、1人(N鑑定人)のみが、患者の高齢性や併存疾患などの複合的リスクを理由に予後が変わったと断定できないとの慎重意見を述べました。

本来のカンファレンス鑑定が複数医師の協議を通じて医学的妥当性を見定める手続きであることを踏まえれば、4人中3人の鑑定人が一致して述べた肯定的な意見は、臨床医学的にも十分に重きを置かれるべきものであったと言えます。

裁判所が1人の慎重意見(N鑑定人)を採用して高度の蓋然性を否定した判断には、臨床的実感との乖離(かいり)や、悩ましさを感じざるを得ず、法的立証のハードルの高さを改めて実感させられます。

個別のリスク因子に光を当てた慎重論を取り上げた点には、裁判所なりの厳格な審理姿勢が示されているとも言えるでしょう。

2. 高度の蓋然性が否定されても責任は肯定され得る

一方で、本件が臨床現場に投げかけるメッセージは別にあるとも言えます。

それは、患者にさまざまな基礎疾患や複雑な背景があり、過失と死亡結果との間の「高度の蓋然性」まで証明されない場合であっても、医師や医療機関は法的責任を問われ得るという点です。

救命できた高度の蓋然性までは証明できないという事実は、死亡そのものの全額賠償を否定する理由にはなっても、医療介入の遅れや不適切さに対する責任まで一切免れるものではありません。

本判決においても、裁判所は生存の相当程度の可能性の侵害を認め、計660万円の損害賠償責任を認めました。

多角的なリスクを抱える患者の治療においては、デバイスの留置期間や感染兆候を慎重に観察し、適切なタイミングで入れ替えや抜去を行うことが求められ、適切な観察・治療を怠れば相応の法的責任を免れないことが示されたと言えます。

3. 「生存の相当程度の可能性」の理論がもたらす法的示唆

最高裁平成12年9月22日判決が確立した「生存の相当程度の可能性」の理論は、過失と死亡との直接の因果関係(高度の蓋然性)の立証が困難な医療訴訟において、患者救済の道を開く役割を果たしてきました。

高度の蓋然性には届かなくとも、適切な医療が行われていれば生存していた相当程度の可能性が立証できれば一定の責任を認めるこの理論は、患者側の立証ハードルの高さを補完する現実的な救済機能を有しています。

しかしその一方で、この理論の運用には実務上の繊細な課題も示唆されます。

それは、本来であれば全額賠償(高度の蓋然性)の認定が検討されるべき過失明白な事案においても、結果回避の不確実性がわずかでも介在すると、裁判所が高度の蓋然性の認定をちゅうちょし、慰謝料請求(相当程度の可能性)にとどまる定量的認定へとなだらかに傾斜してしまうのではないかという懸念です。

いわば、救済の選択肢を広げる一方で、高度の蓋然性のハードルを実質的に強固にするという二面性を持ち合わせているとも言えます。

高齢で心不全等の多様な背景を抱えていた本件において、裁判所としても高度の蓋然性の認定に慎重姿勢をとらざるを得ない背景があったことは推察されます。

しかし、カンファレンス鑑定に至るほど争われる中、鑑定人医師4人中3人が肯定的な所見を示した中で、あえて慎重論を取り高度の蓋然性を否定した裁判所の判断には、多数決によらない法的認定の厳格さと、そのはざまで妥当な解決を模索した葛藤の深さが示されているように思えます。

複雑な臨床経過と高度な立証規範が交錯する医療訴訟において、どこまでを結果の責任とし、どこまでを可能性の侵害と捉えるか。

本判決は、臨床の現実と法的責任の境界線について、いま一度深く考えさせる思索に富んだ示唆を与えてくれています。