MGH心臓麻酔科フェロー経て医師としての第六感を得る
渡米後は、世界的な麻酔・集中治療の重鎮Warren M. Zapolハーバード大学麻酔科学教授らの下で一酸化窒素の研究に励んだ。論文でしか知らなかった偉大な研究者が集まる環境に心が躍り、毎朝仕事に向かう足どりが弾んだ。臨床を離れ、研究一筋でまい進した成果の一つは「マウス心筋虚血再灌流」をテーマにした論文。世界中の麻酔科医が目指す『Anesthesiology』に掲載され、その後のキャリアを築く大きな一歩となった。この研究は虚血再灌流を起こしたマウスに一酸化窒素を投与すると、心筋の障害を軽減できることを明らかにしたものだ。
「治療でどれほど手を尽くしても、亡くなってしまう人がいる。だからこそ、臨床と研究は両輪として、どちらも全力を尽くして取り組まなければと思うのです」
MGHでのリサーチフェローの契約は3年だったが、Zapol氏から臨床と研究を医師として両立できるポストを薦められ、米国に残るよう誘われた。臨床を離れて3年、研究生活は充実していたが、心にぽっかり穴が空いた感覚は、臨床への渇望だと気付いた。同時期、心に刻まれる出来事もあった。敬愛してやまない日野原氏とボストンで会食する機会を得たのだ。日野原氏は「せっかくMGHにいるならば、ハーバード大学のレジデンシープログラムに入りなさい。その後は心臓胸部麻酔のフェローをして、聖路加国際病院へ戻って来ませんか」と長坂氏に提案した。レジデンシープログラムが難関ならば、その後に続く心臓胸部麻酔フェローもさらに狭き門だ。それを、日野原氏は平然と「やりなさい」と言う。
「“日野やん”に言われたならば、やるしかないです(笑)」
長坂氏が、米国での臨床医としての挑戦に腹を決めた瞬間だった。
レジデンシープログラムへの1度目の挑戦では、惜しくも不合格。アメリカでの麻酔科人気は高く、倍率は果てしなく高い。自分自身の弱点を徹底的に見つめ直し、2度目の挑戦に向け、合格する可能性が高まると考えられることは全て行った。
「毎日アメリカ人の同僚をコーヒーブレイクに誘って雑談したり、知り合いの現地医師には全員に面接練習や履歴書の添削をしてもらったりしました」
2009年、ついに合格し、麻酔科・集中治療・ペイン科レジデントのポジションをつかみ取った。さらに、2014年には念願の心臓胸部麻酔フェローになることもかなった。
MGHにはオペ室が100室くらいあり、年間約3万5000件もの手術が行われる。ここでしか治せない患者たちが次々と運ばれてきて息を吹き返す、まさに最後の砦。長坂氏は、1分1秒を争う場で数多くの手術に入り、修羅場を乗り越えてきた。こうして重症患者を多く診た経験から、医師としての“第六感”を得たという。
「銃創が18カ所あり瀕死の状態で運ばれてきた患者さんが回復して帰っていく、それが日常風景でした。そういった患者さんを多く診てきたことで顔色や表情、説明できない勘から本当に危ない人を察知するセンサーが働くようになりました」
聖路加での初期研修に加え、アメリカでのレジデンシー、さらに、フェローとしての経験を積んだ長坂氏は“いかなる状況でも患者の命を守るため冷静にブレない心と対応力”を得た。それは長坂氏が米国を去るときにZapol氏からもらった餞別(せんべつ)の言葉にも表れている。
――あなたは私が知る人の中で、最も優しく賢い学習者であり、教育者であり、研究者です。