睡眠障害治療を極め、眠れない患者を救う精神科医 松井 健太郎

医師のキャリアコラム[Challenger]

国立精神・神経医療研究センター病院 睡眠障害センター長/臨床検査部 睡眠障害検査室 医長

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/横井かずえ 撮影/小野正博

「ニッチな領域、それでいて多くの人の助けになる分野のスペシャリストになりたかった」
――そう語るのは、国立精神・神経医療研究センター病院睡眠障害センター長の松井健太郎氏だ。精神疾患を抱える患者の睡眠障害治療にも精通し、若き睡眠医療の第一人者として知られる松井氏だが、その語り口はどこまでも自然体だ。学生時代にストリートダンスに没頭していた名残か、顎ひげをたくわえ、白衣もどこかラフにまとっている。周囲に壁を感じさせない和やかな雰囲気が漂うのは精神科医ゆえであろうか。
精神科領域、特に睡眠障害の治療では、患者自身が人生を楽しむスキルを身に付けることが重要であるというが、松井氏自身が誰よりも人生を楽しんでいるようにも感じられる。元々、医学に興味がなかったからこそ見えた景色が、松井氏を“睡眠のプロフェッショナル”へと導いたのだろうか。その人物像に迫った。

祖父、父ともに耳鼻科医 あまり医学に興味がなかった

祖父、父ともに耳鼻科医の家系に生まれた。祖父は軍医で戦後、満州から引き揚げた後に岡山で開業。父の松井和夫氏は始め農学部に入学したが、リウマチを患う祖父の症状が悪化し、家業を継ぐために医学部を再受験した苦労人だ。卓越したオペの腕を持ち、77歳を迎える今でも現役でメスを握る。

「子どもの頃、家でテレビを見ていたら、突然、鼓室形成術の映像がテレビに映し出されて、学会発表のスライド作りが始まるようなこともありました」

耳鼻科領域のオペで一流の腕を持つ父と、薬剤師の母の間に生まれ、医療に近い環境で育った。医師を目指したのもその影響が大きかったのか。

「正直に言うと、私は医学にはあまり興味がないんです。でも、ひたすら真珠腫性中耳炎の手術に没頭する父を見て、こういう働き方もいいかも、と思っていました」と朗らかに笑う。

東北大学へ進学し、初期研修は父が働く聖隷横浜病院を選んだ。耳鼻科を回ったときは、父と一緒にオペも行った。父は心から嬉しそうだった。将来は耳鼻科に進むつもりで、周囲も当然そのように考えていた。

転機が訪れたのは、聖隷浜松病院で研修を受けたときのことだった。「一度は、ハードな救命救急の現場を体験しておきたい」と考え、同院の救急科研修を選択した。優秀な同世代の医師たちが高い志を持ち、しゃかりきに研修に臨む姿に圧倒され「自分が役に立てる場所はないのではないか」と心が折れかけた時、一つの発見をする。

救命救急に運ばれる患者の中には、自傷行為やオーバードーズなど精神領域が絡んだ救急患者が少なくない。しかし、そこで働く医師たちは、多発外傷や輸液管理など、いかにも救急医らしい仕事には強い興味を示すが、精神科領域の疾患はその特殊さから、避けられがちであった。そこで、精神科領域の患者が来ると、自ら積極的に「僕がやります」と手を挙げるようにした。すると、周囲から重宝される上に、松井氏自身も患者の生活背景を含めて丁寧に検証する仕事にやりがいを感じていることに気付き始めた。

「精神科が向いているかも」カルテ記載で適正に気付く

自分でも予想をしていなかった新たな発見に驚きつつも、聖隷浜松病院での研修を修了。横浜に戻ってからは単科の精神科病院での研修をスタートした。そこでの経験も、松井氏にとっては興味深いものだった。特に興味を引いたのが、統合失調症などによって思考が解体し、言葉がうまくつながらない患者とのやり取りだ。

「話す内容が支離滅裂な人の会話は記憶に残りにくく、文章として残すのは大変です。ですが、私はかえって強い関心を持ち、毎日、相当量の会話記録をカルテに記載していました」

そんな様子を見ていた院長から「僕の外来、見に来るかい?」と声を掛けられ、陪席させてもらうようになった。ある時、院長と患者の意見が相違し、話し合いがうまくいかない場面に遭遇した。そばで見ていた松井氏は「この患者さんにはこう伝えたらうまく伝わるのではないか」と自然に案が浮かんだ。研修中、患者との対話にハードルを感じることもなく、「自分は精神科に向いているのかもしれない」と次第に思うようになった。

そう思ってからの行動は早かった。すぐに山手線の地図を広げ、精神科医局のマッピングを始めた。実はこの時、進路は既に耳鼻科に決まりかけていて、父の勧めで入職する病院の目星もついていた。しかし、自分がやりたいことは手術で患者を治すことではなく、対話や薬物療法で患者の生活の質を上げていくことだ――。そんな思いが心を支配していた。

「母は精神科に進むことに対して『時代に合っている』と応援してくれました。しかし、父はそれまで見たことがないほど寂しそうな顔をして、申し訳なくてまともに目を見ることができませんでした。だからこそ、『この選択に間違いはなかった』と胸を張って言えるようになりたいと思ったのです」

ニッチな領域のスペシャリストへ 睡眠障害を学ぶ日々に苦い経験も

いくつか医局を見学し、雰囲気が合っていると感じた東京女子医科大学へ入局を決めた。精神医療の第一線で活躍する石郷岡純教授の下で、本格的に精神科医としての研鑽を積んでいくことになる。同期はみんな仲が良く、一つ上の学年にいた“巻き込み力”の高い先輩の影響もあり、松井氏を含む6人が大学院に進学した。さて6人もいれば、それぞれに研究分野を割り当てるのも容易ではない。それを決める教授との話し合いの場で“松井節”が炸裂する。「自分は医学に興味がありません。ネズミを扱う研究も無理」と正直に話したのだ。

そんな松井氏にどのような行き先を割り振ればいいのか、恩師である石郷岡氏も頭を悩ませたのだろうか。しばらく経ったある日、診察を終えた教授から、「睡眠障害治療で有名な睡眠総合ケアクリニック代々木の井上雄一理事長が人を探している。松井君、行ってみたらどうか」と告げられた。元々、「ニッチな領域のスペシャリストになりたい」と考えていた松井氏にとっては、願ってもないオファーだった。

大喜びで「僕、そういうニッチな分野をやりたかったんです!」と伝えると、石郷岡氏は「それほどニッチでもないのだけど……」と困ったような表情を浮かべた。

後になって知ったことだが、実は教授は当時日本睡眠学会の評議員を務めており、睡眠医療に深く関わる人物だったのだ。そんな縁もあり、松井氏は代々木にある睡眠医療の専門施設に派遣されることになる。

「今思えば、あの時が大きな分岐点でした。そこから本格的に睡眠障害を学び始め、気付けばこの分野に没頭していました。適性を見抜いてくださった石郷岡先生にも井上先生にも、本当に感謝しています」

睡眠総合ケアクリニック代々木には約4年間在籍し、臨床に加えて論文執筆にも取り組みながら、徹底的に睡眠医療を学び抜いた。その成果として、大学に戻る頃には、「睡眠領域で困ったら松井に」と頼られる存在となっていった。

ちょうどその頃、東京女子医科大学附属青山病院の閉鎖に伴い、睡眠障害センターが本院に移転することに。松井氏はその流れに合流し、内科的アプローチのみでは対応が難しい睡眠障害の患者を引き受けるようになった。

苦い経験からの学びもある。重症の睡眠時無呼吸症候群の患者を担当した時のことだ。患者は睡眠分断が顕著で、血中酸素濃度も低下し、CPAP治療が必要だった。ところが本人には自覚症状がなく「不要な検査や治療を勧められた」と、激怒したのだ。説明を続けようとする松井氏を遮って患者は席を立ち、再び受診することはなかったという。

「患者さんはきちんとしたスーツを着こなし、社会的に地位のある人でした。しかし、おそらく私の説明が適切ではなかったため、治療の必要性を理解してもらえなかった。この経験から私は、『本当に難しいのはごく普通の患者さんが信念を持って怒っているケースで、それは精神疾患への対応よりも時に大変だ』ということを学びました」

睡眠領域の“何でも屋” 小児を対象とした睡眠外来も

他院では難しいとされる症例にも丁寧に対応していく中で、次第に睡眠領域の“何でも屋”としての立ち位置を確立していった。睡眠障害には6つの群からなる50以上の疾患があるが、執筆した論文は6つの疾患群全てに及ぶこともその証である。

そうした中で、さらなるステージへの扉が開いた。国立精神・神経医療研究センター病院の栗山健一氏(現・睡眠・覚醒障害研究部部長)から、臨床検査部睡眠障害検査室の医長として誘いを受けたのだ。

こうして2019年に同院へ着任。2022年には睡眠障害センター長に就任した。重軽症問わず、睡眠障害に関わる疾患は何でも診るというスタンスは着任当初から変わらない。重度の不眠症やナルコレプシーを中心とした中枢性過眠症、夢遊症のような睡眠時随伴症など、かかりつけ医や一般の精神科では治療が難しい患者に対応する。また、日中の眠気を評価するためのMSLT(反復睡眠潜時検査)など、実施できる医療機関が限られる特殊な検査にも対応している。

「睡眠障害の患者さんは、精神疾患を併発していることも多いですが、そうした患者さんも総合的に判断できること、また、小児も診られることは当センターの強みです。他院で治療が難しい患者さんもうちが引き受ける。それがナショナルセンターとしての役割だと思っています」

人間が生きる上で欠かせない睡眠だが、実は精神科医の中でも睡眠障害を正しく診察・治療できる医師は多くはない。そのため現在は、睡眠障害をしっかり診ることができる後進の育成にも力を注ぐ。

「当センターには、睡眠学コースというプログラムがあります。2年間みっちり学んでもらい、修了時には一般的な睡眠障害は一通り診られるように教育しています」

2024年からは、小児の治療を強化するため、小児科医にも協力を仰ぎ、全国でもまれな「小児睡眠障害外来」を開設した。

「本来、子どもや10代は不眠症にはならないはずです。若い世代で夜眠れないケースは、不眠症ではなく概日リズム・睡眠覚醒障害を疑います。これは本人の睡眠リズムが、社会的に望ましい入眠・起床時刻からずれてしまう障害です。その場合、単に睡眠薬を投与しても効果は期待できず、メラトニン系の薬剤や高照度光療法などが効果的です。当センターでは入院下に午前中2時間の高照度光療法を実施し、睡眠リズムをコントロールする治療を行っています」

睡眠・覚醒リズムの後退により朝起きられず、学校を休む日が続けば、人生の選択肢も狭まる。「怠け」だと周囲から理解されず、最悪の場合は自死に至るケースもある。医療でできることは限られているが、それでも「現実的な今後の方向性を示す」ことが重要だと松井氏は考える。

「眠れない原因は病気だけではないこともありますし、反対に、単なる寝不足が不登校や体の不調などさまざまなトラブルを引き起こしていることもある。その可能性に気付かせることも、大きな意味があると思っています」

薬物療法の一流たれ 考え抜いた投薬を重んじる

精神科医になった時から、一貫して考えていることがある。それは「薬物療法の専門家として、一流であれ」ということだ。精神科の治療では対話が治療の大きな役割を担う一方、正しい薬物処方がされた時の治療効果が大きいためだ。特に、睡眠障害の領域では近年、副作用が少なく効果の高い薬剤も開発されている。患者個々の症状によって、減薬・断薬までの道のりを考慮しつつ、多くの種類・組み合わせから薬剤を選択し、症状を和らげていく。それが精神科医の大きな役割であり、やりがいにもつながっていると言う。

「患者さんによっては薬がカチッとはまり、症状が大きく改善することがあります。反対に、そこがうまくいかないとずっと状態が良くならない人もいる。ですから、薬剤の処方には細部までこだわり、根拠を持って、自分も患者さんも納得できる治療選択をすることを重視しています」

本人いわく、「難しいことを理解するのは苦手」。その一方で、一度理解した情報は、極めてシンプルに整理され、人に分かりやすく伝える技術は一流だ。自ら蓄えた知識を広く共有するために、実臨床で使える睡眠薬の手法をまとめた『眠りのメェ~ 探偵睡眠薬の使い方がよくわかる』も上梓した。

「治療のゴールを見据え、最大のポテンシャルを引き出せるように、いつ・どれだけ・どのくらいの量・どれだけの期間投薬するのかまで、徹底的に考えます」

その一方で、必ずしも「不眠症を治すこと」や「薬剤をゼロにすること」がゴールではないとも指摘する。患者によっては、服薬しながら症状をコントロールする選択がベストな場合もあるからだ。

「私が不眠症の患者さんにアドバイスをするのは『遅寝早起きをしよう』ということです。それによって昼間元気に過ごせるならば、それで良しとすることも重要。同時に、高齢者の場合は『人生を楽しむスキル』を身に付けることが大切です。趣味や夢中になれることがあれば、自然と活動量が増える。ところがそのような楽しみがない場合、『遅寝早起き』の達成は難しいですし、不眠症状も長引きます」

2023年には『医療者のためのChatGPT:面倒な事務作業、自己学習、研究・論文作成にも!』を上梓した。生成AIに患者情報を入れることができないなど、倫理面や個人情報の制約はあるものの、医療現場での活用の可能性が広がっていると語る。

「生成AIの分野は日々、新しいことが出てくる。ついていくのが大変な分、楽しみもある。今後、精神科領域の知識・経験と、生成AIを掛け合わせることで、診療や研究を加速させることもできる。さらに、今まで思いもつかなかった面白いことができるワクワク感がある分野です」

そう目を輝かせながら新しい技術について語る松井氏は、まぎれもなく「物ごとを楽しむスキル」の達人だ――。そんな人だからこそできる治療があり、多くの救われる患者がいる。精神科医とは、人間力が問われる職業と言えるかもしれない。

P R O F I L E
プロフィール写真

国立精神・神経医療研究センター病院 睡眠障害センター長/臨床検査部 睡眠障害検査室 医長
松井 健太郎/まつい・けんたろう

2009 東北大学 医学部 卒業
2011 東京女子医科大学 精神医学講座 入局
2012 睡眠総合ケアクリニック代々木
2016 東京女子医科大学 精神医学講座 助教/医学博士
2019 国立精神・神経医療研究センター病院 臨床検査部睡眠障害検査室 医長
2022 同院 睡眠障害センター長

専門・主な得意領域

睡眠医学(睡眠・覚醒の病気の診療と研究、一般精神医学)、 気分障害、統合失調症など。
日本精神神経学会専門医・指導医/日本睡眠学会専門医/精神保健指定医

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2025年8月号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。

新たなキャリアの可能性を広げましょう

「チャレンジをしたい」「こういった働き方をしたい」を民間医局がサポートします。
求人を単にご紹介するだけでなく、「先生にとって最適な選択肢」を一緒に考えます。

ご相談はこちらから