形成外科は“心の外科” ケロイドにメカノバイオロジーで挑む医師 小川 令

医師のキャリアコラム[Challenger]

日本医科大学 副医学部長/日本医科大学 形成外科学教室 主任教授/メカノバイオロジー・メカノセラピー研究室 主宰

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/横井かずえ 撮影/皆木優子

ケロイドをはじめとする傷あと治療に、人生を懸けて取り組む医師がいる。日本医科大学形成外科学教室主任教授の小川令氏だ。臨床の現場に立ちながらも研究の手を止めず、創傷治療などの分野で数々の功績を打ち立ててきた。中でも注目されるのは物理的刺激を応用した「メカノセラピー」という治療概念だ。臓器や組織、細胞、分子にまで物理的刺激をコントロールするメカノセラピーは、傷の治療だけではなく再生医療や創薬まで、限りない可能性を秘めている。「形成外科は、心の外科」を信条に臨床と研究を続ける小川氏の歩みを追った。

「臨床+研究」を貫き 多くの論文を世界に発表

父はデザイナー、母はイラストレーターという芸術的な感性に溢れた家庭に育った。「好きなことを学べ」という両親の言葉に背中を押され、生物好きが高じて高校3年生の時に医学部を志し、日本医科大学へ進学。元々細かい作業が得意で、形成外科や脳神経外科、救急科などに関心を抱いていた。最終的に形成外科を選んだのは、治療によって目に見える変化が生まれること、また、今より「良くなる」と言える医療に大きな魅力を感じたからだ。

学生時代に通った研究室では、後の臨床医としての姿勢を決定付ける一言に出合う。指導教官からの「研修医になったら忙しくなるから、自分を振り返る時間を持ちなさい」というアドバイスだ。当時はその意味を深く理解していなかったが、実際に研修医となり、朝から晩まで目まぐるしく働く中で、その言葉の重みを実感した。教官が伝えたかったのは「学び続ける姿勢」の大切さだったのだ。

どんな仕事でも、最初は全てが学びである。だが、慣れてしまえば思考を介さず手が動き、新たな知識が入ってこなくなる。知らぬ間に、目の前の業務をこなす「作業」に陥ってしまう。だからこそ、どれほど忙しくても、学びの時間を意識的に確保してきた。また、学びを形にするための「アウトプット」として論文発表にも力を注いできた。研究を重んじる教授の教えにも後押しされ、若手の頃から一貫して「臨床+研究」の姿勢を貫き、今日に至るまで多くの論文を世に送り出してきた。

臨床9年目に訪れた転機 メカノバイオロジーとの出合い

転機が訪れたのは、臨床9年目に当たる2007年。ハーバード大学ブリガム・アンド・ウィメンズ病院形成外科に研究員として留学した時のことだ。留学当時、自身の臨床における方向性に悩んでいた。何を生涯のテーマとすべきかまだ定まっていなかった。形成外科として取り組むべき課題は多くある。例えば、日本初の救命救急センターを有する日本医科大学付属病院の高度救命救急センターには、多くの熱傷患者が搬送されており、その治療は形成外科の重要な役割の一つだ。あるいは、臓器の再建を得意とする形成外科において、再生医療も重要な課題である。

そのような中で留学した先は、「メカノバイオロジー」をテーマに据えるOrgill氏の研究室だった。メカノバイオロジーとは、物理的な刺激が生物の組織や細胞に対してどう働くかを研究する学問だ。例えば、宇宙飛行士が地球に帰還すると、歩けなくなる。これは、宇宙で重力がなくなることによる骨密度の減少、関節軟骨の吸収、筋肉の萎縮によるものだ。このように人間の体は重力や張力、浸透圧といった物理的な力や環境に絶えず影響されることで、現在の形を保っている。

難治性の創傷治療に用いられる「陰圧閉鎖療法」も、メカノバイオロジーを応用した「メカノセラピー」の一つである。被覆材で患部を密閉し、吸引装置で創に陰圧をかけると肉芽形成が促進し、傷が縮小する。

アメリカでメカノバイオロジーに出合った小川氏は、衝撃を受けた。メカノバイオロジーの考え方に当てはめることで、絡み合う糸がするすると解けるようにあらゆる臨床疑問が解消していったからだ。それまで、なぜ皮膚が引っ張られる場所にケロイドや肥厚性瘢痕ができやすいのか、その理由が分からなかった。しかし、こうした疑問もメカノバイオロジーの概念を応用することで、解決の糸口を見い出せる。引っ張られることによる傷の炎症の悪化を、生物学的に解明できると確信したのだ。

「メカノバイオロジーの概念を取り入れると、さまざまなことが分かります。例えば再生医療ならば、宇宙で人の膝に幹細胞を投与しても、それだけで膝軟骨は再生しません。どれほど良い細胞を用意しても、そこにかかる物理的な力がなければ、地球で保っていたのと同じ組織は再生しない。つまり、傷の治療や組織の再生には、組織や細胞を取り巻く環境が極めて重要であることが分かったのです」

さまざま行ってきた研究の点と点がつながり、大きな1本の線となった瞬間だった。

「メカノバイオロジーという新たなアプローチから研究を進めれば、必ず、再生医療の発展につながると直感しました」

「君がラストオーサーになれ」 Orgill氏に学んだ指導者の在り方

物理的環境をコントロールして治癒に導くメカノセラピーを発展させれば、あらゆる傷の治療が可能となる。従来、メカノセラピーといえば、筋肉に対して行うリハビリテーションが主流だったが、小川氏は、臓器や組織、細胞、分子にまで物理的刺激を加える、「未来のメカノセラピー」の概念を発展させようと考えた。現在進めている研究の一例を挙げれば、物理的刺激による髪や爪の再生、あるいは幹細胞に物理的刺激を付加することによる、骨や軟骨の再生など多岐にわたる。

「メカノセラピーは、再生医療はもちろん、がんの治療にも応用できる可能性を秘めています。発がん部位に物理的変化を与えてがん細胞が嫌いな環境をつくってやれば、増殖を抑えられるのではないかと考えています。あるいは、薬を投与することで同等の環境変化を与えることができれば、薬物治療も可能となります」

Orgill氏が小川氏にもたらしたのは、メカノバイオロジーだけではない。後輩を育てる、指導者としての在り方も教えてくれた。こんなエピソードがある。学位を持って留学した小川氏は、研究室内でナンバー2のポジションにあり、学生に研究を振り分ける立場にあった。しかし、自らの発案をまとめた研究のファーストオーサーを学生に譲ることに、一抹の悔しさも感じていたという。その気持ちを率直にOrgill氏にぶつけると、彼はこともなげにこういった。

「僕が一つ手前に下がるから、君がラストオーサーになればいい。君はこれからどんどん後輩を育てて、世界でこの分野を引っ張っていく存在にならないと」

研究室のトップがラストオーサーになると思い込んでいた小川氏は、衝撃を受けた。

「多くのリソースをつぎ込んだ研究でラストオーサーを譲るのは、勇気のいることです。このような懐の深いトップがいることに衝撃を受けたのと同時に、指導者としての在り方を教えてもらいました」

ケロイド治療に生涯を懸ける 日本人だからこそ意義ある研究

ケロイド・肥厚性瘢痕など傷あと治療を生涯のテーマと定めたのも、メカノバイオロジーに出合ったことがきっかけだ。これまで、ケロイドと診断された患者は「体質なので完治は難しい」と告げられてきた。しかし、ケロイドは痛み・かゆみを伴う大変不快なもの。膨らみを帯び、赤く目立つ醜状は本人にしか分からない苦しみがあり「精神的悪性疾患」とも言われる。

この分野において世界で最も先進的に臨床・研究に取り組む小川氏らのチームは、ケロイドができる原因、また、発生場所や重症度によって選択するステロイド・手術・放射線を用いた治療方法を開発し、ケロイドを治せる疾患に変えてきた。その功績を限られた誌面で語り尽くすことは困難だが、例えば、研究の中心に置くケロイド治療において、「張力がかかる方向にケロイドが悪化する」というメカニズムを世界で初めて発表したのは、小川氏らの研究室だ。

「ケロイドを縫い縮める手術では『手術創をジグザグに切ればきれいになる』と昔からいわれていましたが、理由は分かっていなかった。私たちはこのメカニズムを解明し、張力を解除するZ形成術を含む治療アルゴリズムを確立させてガイドラインにまとめました」

手術以外にも、ケロイド治療にはエクラー®プラスターというステロイドテープが有効であることを明らかにし、現在のケロイド治療の第一選択となった。さらには、血管内皮機能の低下がケロイドの悪化につながる可能性も突き止め、皮膚病とされてきたケロイドを血管病だと捉え直した上で新薬の開発にも挑んでいる。

ケロイド治療を日本人である小川氏が研究する意義は大きい。なぜなら、ケロイド発生には人種差があり、アジア人に多く、白人には少ないからだ。そうした事情の表れか、渾身の力を込めて書き上げたケロイド治療に関する論文が十分に理解されずに、あえなくリジェクトされてしまったこともある。しかし、どうしても納得がいかず、抗議の手紙を送ったところ、最終的にアクセプトされたこともある。

「一度駄目でも諦めず、自分の情熱を伝えることは重要だと痛感しました。世界中からケロイド治療に訪れる患者さんのためにも、私たちにしか解明できないことを明らかにしていきたい。それはケロイド治療において世界一の臨床と研究を行っている私たちの使命だと思っています」

強い情熱を持って病態を解明し、治療法を探求すると同時に、この知恵やスキルを広く発信する活動にも取り組んでいる。そのうちの一つが、産婦人科医と共に活動するOGOG project※だ。これは産婦人科医が帝王切開術後の創傷管理を向上させ、ケロイドを減らすことなどを目的としたプロジェクトである。術後、縫い目に沿ってケロイドが発生することはよくある。産婦人科のみならず、手術痕が残る手術を行う各科の外科医に対しても、どのように切ればケロイドが発生しにくいか、傷がきれいに治るかを伝えることも欠かせないライフワークとなっている。

※ 全国の若手~中堅産婦人科医を対象に適切な創部管理を教える、鳥取大学産婦人科小松宏彰氏がリーダーのプロジェクト。産婦人科医(Obstetrician and Gynecologist;OG)から産婦人科医(OG)へという意味を込めて「OGOG project」と称している。

医師はスタートダッシュが命 若手時代の経験が大きな差に

教育者として次世代を育てる立場から、若手医師に対しては「とにかく多くの経験が積める職場を選べ」とアドバイスする。

「医者はスタートダッシュが命。研修医時代にどれほど多くの経験を積めるかが、その後の成長を左右します。その経験は指数関数的に作用して、10年後には大きな差になって還ってきます」

同時に、自分自身がワクワクできて、モチベーションを維持できる進路を選ぶことの重要性も指摘する。形成外科には先天異常などを治療する「狭義の形成外科」、病気やケガで失った組織を治療する「再建外科」、そして「美容外科」の3つの領域がある。近年は美容医療へ関心を持つ医師が急増しているが、「形成外科や再建外科など、形成外科の土台をしっかり学んだ上で美容外科に進むならば、何ら問題はない」との見解を示す。

一方で、院内で美容外科後遺症外来を設置し、美容医療の後遺症に悩む多くの患者を治療してきた立場から、安易な動機で美容医療の道に進むことには警鐘を鳴らす。

「美容外科は見た目だけではなく心の問題にも影響する、繊細な領域です。例えば『人の目が気になるから昔のリストカットの跡を消したい』という希望に応えるのも美容領域の一つ。しかし、給与面の厚遇などを動機に安易に選択すれば、早々にモチベーションが枯渇し、患者にとっても医師にとっても不幸な結果となるでしょう」

最終目標に掲げるのは「手術が要らない未来」

「形成外科は、心の外科」と考え、患者に寄り添い、心を癒すことに注力してきた。その信念は、メイクアップで傷あとを隠す「リハビリメイク®」や外観に関して悩みを持つ人を支援する「顔と心と体研究会」の取り組みなどに結び付いている。

「目立つ傷あとがあっても笑顔で過ごす人もいれば、小さな傷あとでずっと悩んでしまう人もいる。私たちのゴールは傷をなくすことではなく、患者さんが傷あとを気にせず過ごせるように支えること。こう考えると、治しているのは傷あとだけではなく、患者さんの心なのです」

1日100人を超す患者が受診する外来では、数時間待ちも珍しくない。そんな中、ある患者は「ありがとう」と伝えるためだけに、3時間待ち小川氏に感謝を述べたという。まさに、形成外科が見た目だけでなく、人の心にも深く関わる診療科だと分かるエピソードといえよう。

ケロイドを含む傷あと治療の解明に、研究者人生を懸ける。そんな小川氏の最終目標は「傷あと治療において手術が不要な未来をつくること」だ。

「一人の外科医が生涯を懸けて手術できる患者さんには限りがある。しかし、薬が開発できれば、数百万人の患者さんを救うことができる。メカノバイオロジーを応用した新薬の開発は、その可能性を秘めています。世界中から傷で悩む人をなくしたいと本気で思っています。そんな未来を夢見て、私はこれからも毎日ワクワクしながら研究をして、手術にも熱中する。天職に出合えたのだと思います」

P R O F I L E
プロフィール写真

日本医科大学 副医学部長/日本医科大学 形成外科学教室 主任教授/メカノバイオロジー・メカノセラピー研究室 主宰
小川 令/おがわ・れい

1999 日本医科大学医学部 卒業、日本医科大学形成外科 入局
2005 会津中央病院形成外科 部長
2006 日本医科大学形成外科 講師
2007 米国ハーバード大学ブリガム・アンド・ウィメンズ病院 形成外科 研究員
2009 日本医科大学 形成外科 准教授
2015 日本医科大学 形成外科学教室 主任教授
2020 日本医科大学 国際交流センター長
2023 日本医科大学 副医学部長

主な受賞歴

2004 日本形成外科学会学術奨励ジュニア賞
2005 日本医科大学同窓会賞
2009 日本医科大学賞
2010 日本医科大学医学会奨学賞
2011 日本医科大学丸山記念研究賞、日本創傷治癒学会研究奨励賞
2013、2025 PRS-GO 最優秀論文賞
2015、2020、2025 日本医科大学優秀論文賞

資格・学会役員

医師(M.D.)、医学博士(Ph.D.)、米国外科学会フェロー(F.A.C.S.)、タイ王立外科学会名誉フェロー(F.R.C.S.T.)、米国形成外科医会メンバー(AAPS member)、日本専門医機構認定・形成外科専門医、日本形成外科学会認定・領域指導医、日本形成外科学会理事、日本形成外科手術手技学会理事、日本熱傷学会理事、日本創傷外科学会理事、世界瘢痕学会理事長、アジア太平洋瘢痕医学会理事長、瘢痕・ケロイド治療研究会代表理事

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2025年10月号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。

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