失われた声を取り戻す挑戦に情熱を注ぐ頭頸部外科医 西尾 直樹

医師のキャリアコラム[Challenger]

西尾 直樹(名古屋大学大学院 医学系研究科 耳鼻咽喉科学 准教授)

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/安藤梢 撮影/太田未来子

喉頭がんなどの手術で声帯を摘出し、声を失った人は国内に約3万人いると言われている。患者にとって自分の声で話せないことは、社会生活を送る上での大きな障害となっている。この課題を解決するため、頭頸部外科医の西尾直樹氏が立ち上げたのが「音声再生プロジェクト」である。電気式人工喉頭による機械的な声を、元の患者の声に変換するアプリケーションの開発を目指している。既にプロトタイプ版が完成し、2023年にはアジア最大級のアジア頭頸部癌学会(ASHNO)で最優秀発表賞を受賞した。

取材で印象的だったのが、西尾氏のコミュニケーション力だ。院内を歩けば、スタッフたちから声を掛けられ、それに冗談を交えながら応える。自然と人が集まる楽しげな雰囲気がある。そんな西尾氏が人知れず自らの病気に悩んでいた医学生時代や、頭頸部外科の治療にのめり込むきっかけとなった患者とのエピソードなど、軌跡をたどっていく。

手術で失われる患者の“声”「何とかできないか」

声をとるか、命をとるかーー。喉頭がんや咽頭がんの手術では、がんを取り切るために声帯を摘出しなければならない。耳鼻咽喉科でこれまで1000例以上の頭頸部がんの手術を執刀してきた西尾直樹氏は、がんを治すために患者が厳しい選択を迫られる場面を何度も目にしてきた。

「命を救うためには仕方がないとはいえ、患者さんにとって声を失うことの影響は大きい。それを目の前で幾度となく見てきたからこそ、何とかできないだろうかとずっと考えていました」

声帯を摘出した患者が話すための手段には、食道発声、シャント発声、電気式人工喉頭による発声の3つの方法がある。しかし、いずれも手術前の自分の声とは全く違うものだ。一番浸透しているのは声帯の代わりに喉を震わせる電気式人工喉頭で、特別な手術や発声法の習得が必要ないのが利点だが、抑揚がない機械音が出るため外出先では使いづらい欠点がある。「ロボットみたいな話し声がする」と周囲から言われることもあり、外出が嫌になり引きこもってしまう患者もいる。

患者が自分の声を失わずにいられる方法はないか。西尾氏がそのヒントを見つけたのはコロナ禍だった。リモート用のデバイス開発が進み、音声を変換させるアプリケーションが次々と出てきたのである。

「手術前に患者さんの声を録音しておけば、その技術を使って術後に自分の声で話せるかもしれない」

ひらめきからの行動は早かった。音声変換に詳しい専門家を探すと、偶然、同じ名古屋大学の情報基盤センターに音声変換を研究する戸田智基氏がいることが分かった。面識はなかったが、すぐに「共同研究をしたい」とメールを送った。

そして2022年に「音声再生プロジェクト」がスタート。名古屋大学発のベンチャーとタッグを組み、音声変換アプリケーションの開発に取り組む。プロジェクトには、声を失った患者のケアのために同大学の精神科医や脳神経内科医が加わり、愛知医科大学と愛媛大学の耳鼻咽喉科医も参加している。西尾氏の"巻き込み力"によって、診療科や大学の垣根を越えた一つのチームが出来上がったのだ。

ーー開発から3年。ついにリアルタイムで音声変換ができるアプリのプロトタイプ版が完成した。仕組みはこうだ。

まず手術前に500ほどの例文を読み、声を録音する。そして術後に電気式人工喉頭で同じ例文を読んだ声を録音。AIで術前・術後の声を合成し、変換したものをアプリから流す。AIの機械学習の機能で、その人の話し方やイントネーションまで再現することができる。変換した声が発せられる前に、電気式人工喉頭の電子音がそのまま相手に聞こえてしまうなど、まだ改良は必要だが、プロジェクトに参加した60代の男性患者は、

「一度は諦めていたけれど、また自分の声で話せるのが嬉しい。これで孫に話しかけられる」

と表情をほころばせた。声はその人の人生そのもの。西尾氏はその声を守るために、アプリの実用化を目指した研究をさらに加速させようとしている。

センター試験直後に入院 めまいに悩まされた学生時代

頭頸部外科医として10時間を超える手術を手掛け、複数の研究開発プロジェクトを進めている現在の姿からは想像できないが、西尾氏の医師としての出発点は自身の病気と向き合うことから始まった。初めて体に異変を感じたのは大学受験の直後だった。センター試験を終えると、突然激しいめまいに襲われたのである。

「目を開けていると視界がグルグル回って、立っていられないほどでした」

メニエール病の症状だった。そのまま入院し、退院したのは二次試験の数日前。当然、不安を感じるだろう場面だが……

「試験に間に合ってラッキーだったなって。前向きな性格なんですよね(笑)」

と、いたって明るい。その平静さが結果につながったのかもしれない。第一志望だった名古屋大学医学部に合格した。

大学時代は、小中高と続けてきた水泳部に入部。部内随一の実力に加え、持ち前の明るさとリーダーシップでキャプテンになると、大会運営で1000人以上をまとめる手腕を見せた。そんな充実した学生生活を送りながらも、めまいとの闘いは続いていた。ひどい時には1週間以上めまいに悩まされることもあった。ベッドから起き上がれず、動くと吐き気が襲ってくる。周囲になかなか病気を理解してもらえないもどかしさを感じていたのもこの頃だ。こんな状態で医師としてやっていけるのだろうかーー。

「外科医を目指していましたが、緊急手術が多い心臓外科や脳神経外科は無理だろうなと。ただ、耳鼻咽喉科だったら予定手術がメインなのでできるかもしれないと思いました」

メニエール病を扱う耳鼻咽喉科ならば、自分の病気を分かってもらえる安心感もある。めまいへの不安が消えたわけではなかったが、一人前の耳鼻咽喉科医になることを目標に走り出した。

もっと心を燃やしたい 命を救うために頭頸部外科へ

転機が訪れたのは30歳のときだった。耳鼻咽喉科での治療が一通りできるようになったところで、ふと立ち止まった。

「目の前の診療に一生懸命だったものの、このままでいいのだろうかと。心に燃えるものがないような気がして」

持病のめまいがある程度コントロールできるようになり、自信が付いてきたことも大きい。もっと患者の命に関わる医療がしたいという気持ちが湧いていた。2009年に関連病院から名古屋大学医学部附属病院に戻ると、当時、耳鼻咽喉科のサブスペシャルティとして発展していた頭頸部外科の世界に足を踏み入れていく。

頭頸部外科では、首から上の目と脳以外、全ての範囲を扱う。呼吸や嚥下、発声など日常生活に関わる重要な機能が集中しているため、手術では1mm単位での繊細な手技が求められる。暇さえあれば基本の糸結びを練習し、生活のあらゆる場に糸がぶら下がっていた。難度の高い頭頸部手術に挑戦していると、ふつふつと心が燃えてくる感覚があった。

西尾氏がこの道を究めようと決意した背景にはある患者との出会いがある。顔面にがんが見つかった8歳の少女。がんを切除するためには、頭蓋底手術で片方の眼球を取らなければならない。リスクは高いが、両親は手術を希望した。

15時間に及ぶ手術の末、無事にがんを摘出。しかし、しばらくして転移が見つかった。最後まで懸命に治療を続けたが、少女は数年後に命を落とした。

「がんと闘う子どもたちを笑顔にできるような手術がしたい」

少女が闘病する姿を見ながら、そう心に誓った。現在、西尾氏が高難度の進行頭蓋底腫瘍に対する手術治療法の確立を研究テーマにしているのは、この時の経験からだ。一つ一つの症例を徹底的に検討し、データを蓄積することで、一人でも多くの患者の命を救いたい。それが、これまで多くの頭頸部がんの手術を手掛けてきた自分の役割だと考えている。

蛍光ガイド手術導入に向けて トレーニングモデルの開発

この少女のように、術後にがんが再発してしまうのを防ぐにはどうすればよいか。肉眼では確認できない小さな腫瘍まで、手術で完全に取り切ることは難しい。西尾氏がその解決策として注目したのが蛍光ガイド手術だった。

蛍光ガイド手術では、がんに反応する薬に蛍光物質を結合させた化合物を患者に投与し、がんが発光するイメージング技術を用いる。西尾氏はその技術を学ぼうと、2018年にスタンフォード大学へ留学した。所属した研究室では、世界で初めて頭頸部領域の蛍光ガイド手術の臨床試験が行われていた。

「がん細胞自体を光らせることで、手術で正確にがんを切除できるようになります。患者さんの予後を考えれば、どんな深部の小さながんでも見つけられるようにしたい」

アメリカでの研究は、日本で蛍光ガイド手術を導入するための活動につながっている。現在、西尾氏が腫瘍切除のトレーニングモデルの開発に力を注いでいるのは、蛍光ガイド手術で使用する薬剤が日本で認可されるようになった時に、既にトレーニングを積んだ医師がすぐに手術に取り掛かれるようにするためである。

アメリカ留学で得たものは大きい、と西尾氏は振り返る。シリコンバレーの起業家たちと知り合ったことで考え方が変わった。

「日本人医師に圧倒的に足りないのは、発信力です。技術的にレベルの高いことをやっていても、それを発信できなければ伝わらない。もったいないと感じました」

留学前にコンプレックスだった英語は、アメリカでの学会発表などを通じて克服した。挑戦したいことがあれば、自ら意思表示し、発信することで仲間を集める。この西尾氏のスタンスは、今のプロジェクトを進める姿勢にも通じている。

がんの根治性と機能温存の両立「難しいからこそ面白い」

若い頃に苦しんだメニエール病の症状は今でも時々ある。手術に向けて体調を整えているが、もしめまいの予兆があれば他の医師に手術を代わってもらう。いざという時に頼めるのは、普段から築いている信頼関係があるからだ。持病を抱えながらも年に150件以上、そのうち30件は10時間以上の手術を執刀する。その時自分にできることを積み重ねてきた結果、頭頸部外科医としての今がある。

頭頸部がんの手術で求められるのは、がんの根治性と機能の温存。そのバランスをどうとるかに、医師のセンスが問われると西尾氏は言う。

「同じ喉の手術でも、『酒もたばこも楽しんできたから、それで声を失っても仕方がない』とスパッと思い切る人もいれば、『家族と話したいから死んでも声を失いたくない』という人もいます。治療の選択で大事にしているのは、"患者さんがどう生きたいか"です」

仕事の内容や家族との関係性など、患者のバックグラウンドを丁寧に聞き取り、その上で手術計画を立てる。機能を温存するために数mm単位で切除ラインを調整する。しっかり患者と向き合わなければ、彼らが本当に求める治療にはたどり着けない。「だから面白いんです」と楽しそうに話す。

音声再生アプリの実用化に向けた研究開発は、いよいよ終盤だ。研究を続けるためのクラウドファンディングでは、400万円以上の寄付金が集まった。支援を求めた目的は、資金面だけでなく、発信することにあったという。

「声帯を取っても人生は終わりではありません。また誰かと楽しくおしゃべりできる未来がつくれるかもしれない。それを知ってもらいたかった」

プロジェクトによって、声帯を取ることへの患者の抵抗感も少しずつだが変わってきている。自分の声を残せるのであれば、と前向きに手術に向き合う患者が増えているのだ。声をとるか、命をとるかではなく、声も命もどちらも救う。その未来があと一歩のところまで来ている。

取材の最後、西尾氏は「自分の人生を賭けるべきものが見つかりました」と、とびきりの笑顔を見せた。夢が実現するその日まで、心に熱い炎を燃やし続ける。

P R O F I L E
プロフィール写真

名古屋大学大学院 医学系研究科 耳鼻咽喉科学 准教授
西尾 直樹/にしお・なおき

2005 名古屋大学 医学部 卒業、JCHO 中京病院 耳鼻咽喉科
2009 名古屋大学大学院 医学研究科 博士課程
2014 名古屋大学医学部附属病院 耳鼻咽喉科 助教
2018 スタンフォード大学 耳鼻咽喉科 研究員
2020 名古屋大学大学院 医学系研究科 耳鼻咽喉科 助教
2021 名古屋大学大学院 医学系研究科 耳鼻咽喉科 講師
2025 名古屋大学大学院 医学系研究科 耳鼻咽喉科 准教授

受賞歴

2016 日本頭蓋底外科学会 優秀論文賞
2020 日本頭頸部癌学会 優秀演題賞
2023 アジア頭頸部癌学会(ASHNO) 最優秀発表賞

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2025年11月号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。

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