唯一無二の技術で子どもの笑顔と希望を紡ぐ児童精神科医 大和 行男

医師のキャリアコラム[Challenger]

大和 行男(医療法人社団 先陣会 理事長/池上おひさまクリニック 院長)

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/佐藤恵 撮影/皆木優子

社会が多様化・複雑化している今、自ら声を上げることができず生きづらさに悩む子どもは少なくない。WHOは世界の児童・青年のうち約20%は精神障害や問題を抱えていると推計している。

全国でも600人ほどしかいない児童精神科専門医の一人が、東京都大田区の池上おひさまクリニック院長の大和行男氏だ。会社員から一念発起し「医師」ではなく「児童精神科医」を目指した。大和氏は、この国の精神科医療をけん引する二人の師の理念と技術を余すところなくその身に叩き込んだ。診察時には「ひと笑い」を提供し、親子が「今日もおもしろかったね」と言いながら帰っていく。情熱とユーモアと研ぎ澄まされた診療技術を兼ね備えた大和氏が切り開いてきた道のりを伺がった。

病名の診断や薬の処方より患者の未来にこだわる

小学生で中国の古典『四書五経』を原書で読んでいた大和少年は、歴史の教師になることを夢見て東京大学教育学部に進んだ。しかし、高校での教育実習時に不登校の生徒にアプローチしようとすると「高校は義務教育じゃないから不登校の生徒は見なくていい」と教師に言われ、すぐさま進路の変更を考えた。

「そういった子のケアこそが私のやりたいことなのだと気付きました」

大学を卒業後、一般企業で2年間働いて貯金をし、新潟大学医学部に入学。初期研修2年目の時に東日本大震災が起こった。放射能を避けて西に移住する人がいる中、大和氏はあえて北に向かった。

「東北で支援活動をしたかった。そして何よりも被災した子どもたちを助けたかったのです」

後期研修施設として選んだのは、山形県にある公徳会佐藤病院。当時、同院には、「精神科救急病棟※」の立ち上げを主導した計見(けんみ)一雄氏と、児童精神科医の草分け的存在である齊藤卓弥氏が勤務していた。

児童精神科の診療範囲は一般的には15歳まで。ゆえに、平均発症年齢が20歳前後である統合失調症や双極性障害を診られない児童精神科医が少なくないという。「年齢で区切らず患者さんを診たい」と考えていた大和氏は、児童精神科と成人の精神科の両方を一気に学ぶべく、計見氏と齊藤氏に師事した。

「計見先生は『精神科医の最も大切な仕事は、診断をつけることでも薬を出すことでもなく、ケースワークだ』という方針でした。『入院したその日から、患者さんをいかに早く社会に復帰させるかを考えなさい』とおっしゃっていました」

大和氏は計見氏の教えの通り、治療の傍ら診断書の作成から福祉手帳の申請手続き、行政とのやりとりなど一連のケースワークを一人でこなす力を身に付けた。と同時に、計見氏に張り付くようにして成人の精神科診療を学んだ。

一方、週に一度同院で児童精神科外来を行っていた齊藤氏にはマンツーマン指導を申し込み、毎週付きっきりで外来診療を学んだ。

「齊藤先生は、まずは典型的な症例を網羅することが大事だとおっしゃっていました。そうすれば、非典型例や難しい症例も鑑別できるようになる。児童精神科の先駆者である齊藤先生から直接学べた時間は大変ぜいたくでした」

大和氏は精神科医療のパイオニアである2人の名医に師事したことで、スーパー救急の理念に触れ、子どもから大人まで幅広い年齢層の患者に対応し、精神科医としての基盤をつくることができた。

「佐藤病院には慶應義塾大学の先生も来られていて、その先生からは研究について指導していただきました。児童精神科にはいくつかの流派がありますが、それぞれの『いいとこ取り』で学べたことは本当に恵まれていました」

埼玉県済生会鴻巣病院に移って依存症患者の治療に取り組んだ後、児童精神科の入院病床がある2施設に勤務する。一つは女子児童専用病棟のある横浜カメリアホスピタル、もう一つは、男女混合病棟で院内学級も併設されている東横惠愛病院。ここでも異なる領域を並行して学ぶことで、深く幅広い診療スキルを身に付けることができた。

どんな患者が来ても動じない胆力がついた頃、大和氏が医師人生で最も度肝を抜かれた出来事があった。

小学3年生の女子児童の入院受け入れ時のこと。女性看護師が身体チェックをしたところ、ポケットに刃物が入っていた。大和氏が保護室で対面すると、女子児童が言った。

「先生、口の中にも入ってるよ」

見ると、口の中にカッターの刃が隠されていた。その児童が傷つけたいのは、他人ではなく自分自身。平然と「これ、飲み込むから」と言った。看護師が体を押さえているうちに、大和氏が鉗子で刃を取り除き、その場を切り抜けた。

「何とか顔色を変えずに対応しましたが、医師人生で一番心臓がバクバクしました」

児童精神科医にとって大切な資質について、大和氏はこう語る。

「どんな時も冷静さを失わず、竹のようなしなやかなメンタルを持つことです。あとは、どんな患者さんも拒絶しないこと。私は必ず『来てくれてありがとう』から始めます」

※ 急性期の重度精神疾患患者に高度医療を提供し、3カ月以内の退院を目指す専門病棟。

一挙手一投足を見逃さない 研ぎ澄まされた診療技術

池上おひさまクリニックの待合室と診察室は、さまざまなキャラクターのぬいぐるみや置物、シールで飾られている。来院した子どもが、たとえ会話できなくても、何かに目を止めてくれさえすればいい。そんな大和氏の思いの表れだ。

「大人は『休職のための診断書を書いてほしい』『眠れないから薬がほしい』と目的を持って来ます。でも、子どもは不安を抱えた親に連れられてくる。自分の意思では来ません。まずはここに来てもらって、関係性をつくる。そこには児童精神科医の力量が問われます」

初診は30分。受診のモチベーションが低く、語彙の少ない子どもから診察に必要な情報を得るのは極めて難しい。そのため大和氏は、診察室よりも素の姿が見られる待合室での様子から観察しているという。スマホを見ているのか、ぼーっとしているのか。緊張しているのか、落ち着いているのか。そして、診察室に入る時のノック音、足音、親と子のどちらが先に入ってくるか、どの椅子に誰が座るかなど、ノンバーバルのコミュニケーションに注目する。

「両親と子どもの3人で来て、2つの椅子に両親が座り子どもがおろおろしているケースもあります。その場合、どちらかの親に診察室から出てもらいます。『これはお子さんの椅子です』と親にはっきり伝えることで、子どもに『私はあなたの味方だ』と印象づけることが大事です」

ADHDの子どもは5分くらい経つと足をブラブラしたり、椅子にダラーっともたれかかったりする。発達障害や対人恐怖症の子どもは目線が合わないが、後者の場合はうなずくことはある。子どもの仕草や動きをつぶさに確認しながら、その時の親の反応も同時にチェックする。

「親を味方につけないと治療が成り立ちませんので、親に嫌われない範囲で子どもに『私はあなたの両親と交渉ができる人』だと感じてもらうのが、初診のコツです。子どもが『あの先生のところに行きたい』と言えば、親は連れてきてくれますから」

同院での再診は7分と決めている。長く話そうとする患者には、「ここは『愚痴外来』ではありません」とにっこり伝える。コンパクトに自分の状況を説明するのも行動療法の一環であるという考えだ。

「時間内に話し切れない場合は、言いたいことを紙に書く、スマホに入力する、録音しておくという方法でまとめてみてほしい、と宿題を出します」

「え~っと、それで、だから……」と話が進まない子どもには、「なるべく簡潔に、接続詞はいらないからね」と大和氏が言うと、「接続詞って何?」と聞くので、「後でお母さんに聞いてみてくださいね」と親子の宿題にすることもある。親子のコミュニケーションのきっかけをつくるのだ。

また、時として患者を守るために学校や行政と戦うこともある。患者の目の前で先方に電話をかけ、毅然とした態度で対応することで、主治医としての姿勢を見せるという。

どんな小さなことも治療につなげて生かす大和氏の名人芸のような診療技術を学びに来た小児科の専門医は、「到底自分には真似できない」とひと月で音を上げた。

「子どもを尊重し、子ども扱いするような話し方はしない。子どもの家族と、時には学校の教師や、児童相談所の職員を巻き込んでリーダーシップを取りながら話し合いを進めていく。いわば小さな組織をつくって、適切な答えを導き出す作業。これを一人一人の患者さんに行うので、高度なコミュニケーションが必要です」

大人も子どももまずは診る 「令和の赤ひげ」目指す理由

2017年に独立して東京都日野市で児童精神科クリニックを開業し、2024年1月には東京都大田区に拠点を移した。予約から2、3カ月待つことが当たり前の児童精神科としては極めて異例であるが、池上おひさまクリニックでは「予約不要」「紹介状不要」を掲げ、「来院した患者さんはすべて診る」という方針だ。特に宣伝をせずとも、主に患者の口コミで1日平均30人が来院するという。

大和氏いわく「他人がやっていないことにチャレンジする性分」とのことだが、最近では受け付け・診察・会計・レセプト業務まで一人で行う「ワンオペ運営」に取り組んでいる。

「人手不足から始めたことではありますが、理想とする医療ができているので充実しています。受け付けの職員が来られない日は、私が受け付けをして一緒に診察室に入り、診察が終わったら会計まで行うので驚かれます(笑)」

もう一つ大和氏が目指しているのが「令和の赤ひげ」、つまり「誰でも、何でも診る医師」だ。同院では「皮膚科、小児科、内科、児童精神科、精神科」を標榜する。子どもやその親を診ていく中で、必要な知識や技術を学び、徐々に守備範囲を広げてきた。最近では、不眠症で悩む患者が多いことから睡眠検査外来も開始した。皮膚科や美容皮膚科の診療にあたっては、大学病院の専門医に指導を受けている。

「アトピー性皮膚炎が原因で対人恐怖症になる子もいます。その場合、まずアトピーを治すことが心の問題を解決する近道です。結局、心と体はつながっているのですよね」

病院名を「心のクリニック」とせず、診療科を増やし、看板には「児童精神科」を最後に記載したのは患者の受診ハードルを下げるためである。

「まずは小児科で受診して、『実は不登校で悩んでいて』と切り出す親御さんは多いです。初めての医師に心の問題を託すのは誰でも躊躇するものですから。診療科を増やした理由はここにもあります」

3人の子どもの母親が、発熱した長男を小児科に、次男を皮膚科に、三男を児童精神科へと同時に通わせることもある。

「先日は、その子たちのおばあちゃんも来てくれたんですよ。家族みんなを診てあげたい。『赤ひげ』を貫く意義はそんなところにあります」

「未来をつくるのが私の仕事」 社会へ巣立つ姿を見るのが喜び

「精神科医の仕事はケースワーク」という恩師からの教えを守り、「子どもの未来をつくる」ことをポリシーに掲げる大和氏。小中学生の中には、制服を着て、何時までに学校に行って、この時間までは帰れない、という義務教育になじめず、苦しい思いをしている子どもが多くいる。それならば、家庭教師と勉強して高校に入り、自分らしく羽ばたけばいい。不登校に悩む親子には、「現状を悩むのではなく、どんな高校に行きたいかという未来を話し合ってほしい」と提案する。

「好きなことを勉強できたり、自分でカリキュラムを組み立てられたり、オンラインで学べたりと、高校では自由度が上がります。実際、高校に入ったら問題なく通えるようになる子もたくさんいます」

児童精神医学の講座がある大学は少なく、いまだに医師の中でさえ児童精神科の存在はよく知られていない。

「子どもは元気はつらつというイメージなのでしょう。『児童精神科には、どんな病気の子が来るんですか?』と質問されることもよくあります」

子どもの味方となり、子どもの未来をつくるサポートを行う。しなやかで強靭な軸を持って患者と向き合い続ける大和氏の一番の喜びは、子どもたちが「未来」を見せに来てくれることだ。

「茶髪の高校生が現れたので、『どなたですか?』とおどけて聞いたら『〇〇子だよ!』と。ずっと暗い顔をして通院していた子が、高校に入って花開いたようになって。うれしい瞬間でした」

不登校だった子どもが無事に就職したと報告に来た母親は、大和氏の顔を見るなり大粒の涙をこぼした。

初診が13歳で、今年25歳になった女性は、職場で正社員に登用された時も、結婚することが決まった時にも報告に来てくれた。12年もの間、彼女が親にも話さないことを聞き、成長を見守って来た大和氏にとって、感慨もひとしおだった。

「『結婚おめでとう』と言ったら、『次は先生の番だね』と(笑)。そんなことも言い合えるようになったんだなと思いました。これが、大人も診られる児童精神科医のやりがいです。対象年齢15歳で区切ってしまうのはもったいない。子どもの未来を見られるのが楽しいのですから」

教育実習の時に救えなかった生徒も、今だったら確実に救えるはず。大和氏には、数多くの症例を経験してきた自負と、社会に羽ばたいて行った子どもたちの笑顔と、たった一人もとりこぼさない覚悟がある。

P R O F I L E
プロフィール写真

医療法人社団 先陣会 理事長/池上おひさまクリニック 院長
大和 行男/やまと・ゆきお

2000 東京大学 教育学部 卒業
2010 新潟大学医学部 卒業、東芝病院 初期臨床研修
2011 東京大学医学部附属病院 初期臨床研修
2012 公徳会佐藤病院 精神科 後期研修
2015 埼玉県済生会鴻巣病院
2016 横浜カメリアホスピタル、東横惠愛病院
2017 豊田こころのクリニック 開院、イーアス高尾クリニック 開院
2024 池上おひさまクリニック 開院

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2025年12月号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。

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