サイエンスでヒューマンを補完し納得感を欠かない医療を
「名医」という言葉に象徴されるように、医師の仕事は他の職種に比べるとはるかに属人的だ。しかし沖山氏によると、医療も徐々に標準化されてきているという。2020年代に検査データをデジタル化しAIを活用する動きが生まれ、スマホやスマートウォッチが個人のヘルスケアデータと連動するようになった。今後は、電子カルテとの連携も可能になるだろう。加速度的な進化と不可逆性がデジタルの真骨頂である。その勢いは止められない。
沖山氏は医学をサイエンス、医療をヒューマンと捉え、AIを有効活用することによってヒューマンの質を高めるべく追求している。しかし、AIは究極のサイエンスだ。両者の長所を取り入れ、どのように発展的な結論を出すのだろうか。
「例えば、病院に行ったら血圧・体重を測り、喉の写真を撮って、全てAIが解析して患者さんを診断するとしたら、そのプロセスは全てサイエンスですよね。ただ、結果説明の際には、医師に直接聞きたいという人もいる。つまり『納得感』の部分は医師が負う。患者さんの行動変容が必要な場面では、納得感が大事です。もし将来『私はAIしか信じません』という人が出てくればそうすればよいだけで、全ては手段。ですが、幸いにしてまだそういう時代ではなく、人間の医師の説得力がとても高い意味を持つのが現代です」
この考えに至った背景には、医師個人の努力と献身によって何とか支えられている医療への疑問がある。沖山氏いわく、医師は命を救う使命感の下、全力を尽くして働いているにもかかわらず、必ずしも100の努力が100の価値に結び付いていないという。それは、大都会でもへき地の医療でもそうだ。そんな現状を変えたいと考えている。
「へき地の医療では、その時そこにいる医師の技量がその町の医療の限界になる。一方、都会では『3時間待ちの3分診療』なんて言葉もある。AIを活用すれば、医療の最適化に近づき、さらに時間的余裕もできるはず」
AIが診断を担うようになると、医師の仕事は変化するのか?
「例えば現在は、医師が100人いた時に、臨床以外の仕事をしているのは5人程度でしょうか。AIが医療に浸透することによって、あらゆる職種で1人が1.5人や2人分の仕事ができるようになってきます。そうすると、日中は病院で臨床、17時からは研究や創薬、機器の開発や行政に携わったりする選択肢も増えるかもしれません」
AIによって病院内のマンパワーが充足すれば、医師の活躍の場は無限の広がりを持つだろう。
「臨床は医療の唯一無二の土台です。しかし語学の資格を持つ人が、全員通訳業に就かないのと同じように、医師免許を持つ人が全員臨床医として一生を遂げないという考え方があってもいいのかもしれません。診察室の外にも医療を良くするためにできることは多くあるはずです」
納得感のある医療を目指し、「医療機器ではなく未来の“医療”そのものをつくっていきたい」と語る沖山氏。患者のデータを基にした医療機器開発によって、医師も患者も、未来の医療をつくっていける存在だと実感できる世の中になってほしいと言う。キーワードは「共創」だ。
「今日自分が受けた診察は昨日の患者さんのおかげであり、今日の自分は明日の患者さんを助ける。共創の輪が広がると、医療がみんなのものになる」
現在、その目標には何合目まで到達しているかと聞くと、「1、2合目ですかね」と謙虚だ。
「10合目に到達した時には世の中で『医療は自分たちでつくったもの』という考えが当たり前になっているはず。医療から悲しみはなくならなくとも、後悔はなくなっている姿が頂上です」
沖山氏は、理想の未来を描きながらも、足元をしっかり見ている。毎月一度、金曜日から月曜日までオホーツク海に面した広域紋別病院で救急科当直を受け持つ。この勤務も8年目。あくまでアイデンティティは臨床医だ。
これまでで最も影響を受けた人は、聖路加国際病院名誉院長の日野原重明氏。研修医時代に2カ月間、緩和ケア科で間近にその仕事ぶりを見た。一度も口を開かなかった患者が、日野原氏が回診に来ると「また先生に会うためにあと一週間生きようと思います」と言う。日野原氏は「がんばってね」とほほ笑む。
「最高峰のヒューマンの力に触れられたのは私の財産です」
沖山氏は、エビデンスもサイエンスも包含したヒューマンな医療を目指し、前人未到の高い山を、目を輝かせた少年のように爽やかに登り続ける。