「よくある病気の専門家」に 迷いは自信と誇りに変わった
総合診療医の育成リーダーとして活躍する近藤氏だが、研修医時代は、「ERトヨタ」と呼ばれる救急外来で知られるトヨタ記念病院で循環器内科医を目指していた。
「人の命を次々と救う姿が、とにかくカッコよく見えました」
研修医2年目の時、藤田医科大学で現在の「総合診療プログラム」の前身である「家庭医療専門研修プログラム」がスタートし、見学に行ってみたものの“家庭医”を“カテ(カテーテル)医”と聞き間違えるありさまだった。初めて、総合診療医について調べてみると、その必要性と重要性に比して日本では数が圧倒的に少ないことを知った。しかし、循環器内科医の道も諦めきれない。悩みに悩んだ末、「一人でも多くの人を救える道を選ぶ」という行動基準を決めた。
「循環器内科医なら年間数百人は救えるかもしれない、でも、総合診療医としてプライマリ・ケアの段階で関われば、病気になる前の多くの人たちを救えるかもしれない。さらに教育に携わって総合診療医を増やせば、救える患者さんがもっと増える」
近藤氏は藤田総診の実質一期生として専門医研修をスタートした。しかし1年ほどが経ち、他施設の同期医師と情報交換する中で、次第に近藤氏のアイデンティティが揺らいでいく。
「オペをやった、カテもできるようになったという話を聞いた後に、自分は『外来やって、在宅やって、患者中心の医療を……』と言うと、『それはみんなやってるよ』と言われてぐうの音も出なかった」
スキルを積み上げていく領域別の医師に対して、総合診療医は診る範囲を限りなく広げていくことが求められ、成果が可視化しづらい。近藤氏はじくじたる思いを抱えていた。
それからさらに1年が経った頃、同期のグループLINEで「子どもがケガをして爪が剝がれた」というメッセージが流れてきた。近藤氏が対応策をアドバイスすると、とても感謝された。
「メンバーには小児科医もいましたが、子どもの爪は小児科でも外科でも皮膚科でも専門とはいえない。でも、総合診療ではよくあることなんです」
次第に、アイデンティティが一つの像を結び始めた。
「“よくある病気の専門家”は自分しかいない、と気付きました。『何でも相談して』と言えるのが総合診療医なのだと」
それまでの悩みは、自信と誇りに変わっていった。そして医師6年目には、半田中央病院での総合診療科立ち上げの責任者として赴任。「大変なことしかない1年間」だったが、病院の意識改革の旗振り役として多職種へのレクチャーを重ね、立ち上げに成功。名実ともに総合診療医になった瞬間だった。