病気が治ることと幸せは必ずしも一致しない
慶應義塾大学の精神科で初期研修を終え「一人前になるには10年、まんべんなく精神科医療を習え」という医局理念の下、東京・北多摩地区の国家公務員共済組合連合会立川病院に入職した。
立川病院では、精神疾患と身体疾患を併存する患者を診た。身体疾患が治癒しても精神疾患が残っていれば、患者の苦しみを完全に解決したとは言えない。治療することが、「死にたい」と言い続けている患者の「希望」を奪うことになりはしないか。病気が治ることと幸せは、必ずしも一致しないのではないか――。答えの出ない問いと闘い続けた。
立川病院に入職した2004年は折しも厚生労働省が痴呆症を認知症と言い換えたタイミングで、岡氏は同院で「もの忘れ外来」の立ち上げも任された。当時、認知症の知名度は低く、専門に扱う医師も少なかった。
「認知症の新薬が出始めて注目を集めましたが、分からないことばかり。それでも、何とかしたいという意欲はありました」
岡氏は国内外の学会に積極的に出席し、学んだことを講演会で伝える活動を行っていた。そんな時、ある講演会で出た、長年、認知症患者のサポートをしてきたケアマネジャーからの質問にはっとさせられた。
「認知症の進行を遅らせる薬は、悪魔の薬ではありませんか?認知症初期でまだらに記憶がある時はつらいけれど、進行しきったら多幸感が得られる人も多い。早く進行させる薬の方が人を幸せにするのではないですか?」
日々、患者のそばで見守ってきた人の言葉は重かった。そもそも認知症は年齢を重ねた副産物と考えれば、治療すべき対象でもない。むしろ、長く生きたことによる神様からのギフトと考えることもできるのではないか。認知症治療は、人間の不可侵領域に足を踏み入れることではないだろうか――。
「認知症になっても、安心して生きられる社会システムが必要だと考えるようになりました」
もの忘れ外来の立ち上げに奔走した後、2007年には精神科・神経科の専門病院である桜ケ丘記念病院に入職。ある日、隣のブースで診察しているベテランの男性医師の声が聞こえてきた。患者に、「お前はいろいろ考えなくていい、俺の言うことを聞いていればいいんだ」と言っていた。
「そんなことを医者が言うなんて、とびっくりしました。でも、それまでの関係性があるからこそ言えることで、そういう言葉で悩みを取り除くのもひとつの愛なのかと思って」
精神科医はこうあるべき、という理想が吹き飛んだ瞬間だった。自分の中のかせを外したことで患者対応のバリエーションは増えていき、さまざまなアイデアが湧いてくるようになった。しかし、まだ10年にも満たないキャリア。百戦錬磨の医師の中では、岡氏の声は届かない。
「何者でもない私が言っても意味がない。人に認められるような研究をしようと思いました」
慶應義塾大学大学院で4年間研究に励み、学位を取得。しかし、研究に取り組んでみて分かったのは、「自分には臨床が向いている」ということだった。これまで経験してきた精神科の現場と研究データの間にある乖離(かいり)に違和感を覚えたという。
「例えば、数値的には少し悪化しているけど、精神的な症状としては落ち着いている患者さんはよくいます。患者さんも医師も『よかったね』と言っているのに、データだけ見るとさらなる治療が必要となる。それに、実験マウスに負荷をかけてストレスを測っても、人が人間関係で感じるストレスとは全く異なるものだと思うのです」
nを集めて最大公約数を導き出す研究データの中に、これまで出会ってきた十人十色の患者はいなかった。
「やっぱり私は、患者さんのそばで関わることが好きなんだと再認識しました」
研究と並行して、保健所での専門医相談で認知症患者の自宅を訪れたり、家族会での講演活動なども行った。その中で、認知症と訪問診療の親和性を強く感じ始めるようになっていた。