世界最高峰の手技を追い求める呼吸器外科医 福井 麻里子

医師のキャリアコラム[Challenger]

福井 麻里子(順天堂大学医学部附属順天堂医院 呼吸器外科 准教授)

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/安藤梢 撮影/緒方一貴

「手術がうまくなりたいんです」

取材中、何度も繰り返された言葉だ。外科医ならば手術ができるのは当たり前、その上で誰もがためらうような最難度の手術に挑戦する。彼女が目指しているのは、世界トップレベルの呼吸器外科医なのである。

他の病院で手術ができないと診断された患者たちが、救いを求めてやってくる順天堂大学呼吸器外科。ここには低侵襲手術を行った患者の再手術や、併存疾患のある患者の手術など、超難症例が集まる。そんな第一線の現場で活躍するのが、福井麻里子氏だ。

なぜ呼吸器外科を選んだのかを聞くと、「いろいろな楽しみが詰まっているから」と朗らかに答える。いろいろとは、「自分の手で患者さんを笑顔にできること」「手技が上達する喜びがあること」「チームの一員として力を発揮できること」だと、目をキラキラさせながら話す。取材を通して福井氏から伝わってきたのは、呼吸器外科医であることの喜びだった。

3人の子育てと仕事の両立 ロールモデルは勉強熱心な母

呼吸器外科医になって20年、これまで経験した手術症例は助手を含めて3000件近い。

外科、呼吸器外科の専門医資格を最短で取得し、ロボット支援手術のプロクターでもある。低侵襲手術から開胸での難症例まで、あらゆる手術を手掛ける。その間、3人の子どもを出産し、子育てをしながら腕を磨いてきたのだから、並大抵の人物ではない。身にまとう柔らかい雰囲気からは想像できないが、志のためなら一途に努力をする胆力がある。

福井氏が生まれ育ったのは長野県。父は内科医、母は小児科医で共に開業をしていた。両親の仕事を身近に感じたのは小学5年生の時。化膿性脊椎炎になり、1カ月自宅で寝たきりの生活を送った。幼少期から喘息を発症するなど病気がちで、いつもそばで治療をしてくれたのは母だった。

「父も母もすごく仕事が好きでした。地域医療に携わることが生きがいで、家でもよく医学の勉強をしていました」

患者のために夢中になって働く両親の姿は、今でも鮮明に覚えている。特に子どもを育てながら医師として努力を続ける母の姿は、いつしか目標になっていた。

内科医になることを目指して新潟大学に進学したが、臨床研修で“楽しさが詰まっている”と感じた呼吸器外科を選んだ。女性の外科医が増え始めていたとはいえ、当時、医局内に30代以上のロールモデルはいなかった。ハードなイメージのある外科を選ぶことにためらいはなかったのだろうか。

「自分の生活を犠牲にする覚悟も必要かもしれないと思いました。でも、上司の土田正則先生から『出産や育児で休む期間があっても、外科医として他の医師たちを支えることはできる』と言ってもらえて。いずれは結婚や出産をしたいと思っていたので、人手が少ない外科で自分が役に立てるなら、と決断しました」

若手にどんどん挑戦させようという環境の下で、チャンスがあれば「執刀させてほしい」と率先して手を挙げた。新潟大学の穏やかな雰囲気の中、福井氏は外科医としてのびやかにスタートを切ったのである。

「最高峰の技術を学びたい」結婚を機に順天堂大学へ

新潟大学呼吸器外科に入局して2年目、福井氏は新潟県立中央病院に赴任していた。上司の青木正氏との雑談中に「さっき背中が痛いと言っていた患者さんがいて……」と何気なく漏らすと、「ちゃんと鑑別診断をしたのか!」とものすごい剣幕で叱られた。

「背中の痛みがあれば胸腔内の感染を疑わなければならなかったのに、患者さんの声を聞き流してしまっていたんです。なんて甘かったのだろうと落ち込みました」

特徴的な症例を診る時には、必ず論文を調べるように教えられたのもこの頃だ。珍しい症例や合併症を見落とすと、患者の命に関わることがある。その危機意識が現在の研究に取り組む姿勢にもつながっている。失敗を糧にしながら、着実に呼吸器外科医としての階段を上っていった。

転機が訪れたのは2010年、きっかけは結婚だった。夫は同じ大学出身の脳神経外科医で、卒業後は離れて暮らしていたが、「お互いに納得できる病院を選ぼう」と2人で東京へ。福井氏が選んだのは順天堂大学の呼吸器外科。年間約700件の手術を手掛ける国内有数の施設で、肺がん手術の名医として知られる鈴木健司氏(※1)に師事した。

結婚によって働き方を考える女性医師は少なくないが、よりハードな道を選ぶのは珍しい。理由を聞くと、

「手術がうまくなりたかったからです」

とにっこり笑う。鈴木氏の手術を見学し、最高峰の技術と熱心な指導を目の当たりにした福井氏は、迷うことなく「ここで学ぼう」と心を決めた。

※1 「ドクターの肖像」2020年12月号掲載

誰もが諦める状況、特殊なケースでも救う

順天堂大学呼吸器外科の方針は、たとえ数%の可能性でも諦めないこと。福井氏がそれを体現したのは赴任してすぐだった。

右肺の付け根に巨大な腫瘍があり、肺の全摘手術を予定していた70代の男性患者。福井氏の回診中に、男性は突然、激しい痛みを訴えて倒れ込んだ。入院時から巨大な腫瘍によって気管支と肺動脈が押しつぶされていたが、その時点で8Lの酸素を吸引しなければならないほどの呼吸不全に陥っていた。この状態では手術は無理かもしれない……。

しかし、駆け付けた鈴木氏は迷わずこう言った。

「すぐに手術をしよう」

CT画像と患者の状態から換気血流比不均衡だと診断し、わずかな可能性にかけて手術を選択したのである。肺が縮んで位置がずれたことで、押しつぶされていた肺動脈が開通したことを見抜いた瞬時の判断は、目を見張るものがあった。誰もが諦めるような状況で、特殊なケースを的確に診断し、リスクの高い手術を成功させる。手術を終えた患者は入院前よりも元気になって帰っていった。その瞬間を目にしたことで福井氏の心に火がついた。

毎朝6時には病院に行き、終電で帰る日々。結婚したばかりの夫にも会えない日が続いたが、本人は「夫も同じような生活でしたから」と明るい。仕事に全力で打ち込める毎日は充実していて、技術を学べることが楽しくて仕方がなかったという。

「ワークライフバランスはもちろん大切だと思いますが、外科医として一番つらいのは自分の知識や技術が足りずに、患者さんにベストな医療が提供できないこと。だから、もっと学びたいという気持ちのほうが大きかったです」

自らを他大学から移ってきた“外様”と意識していたからこそ、順天堂大学の手術スタイルを誰よりも忠実に実践した。それがトップレベルの呼吸器外科医になる近道であり、確実な方法だと考えたからだ。最短で外科専門医と呼吸器外科専門医の資格を取得すると、さらに高みを目指していく。

「鈴木教授からは“石橋をたたき壊す女”と言われています(笑)」と教えてくれた福井氏。その真面目で慎重な性格を表すエピソードがある。

通常ならば適応外となるような症例でも、自らが「できる」と判断すれば手術に挑む鈴木氏のスタイルに異を唱えたことがあった。リスクの高い手術をすることが患者にとって最善の選択ではないかもしれない、という考えが拭えなかったからだ。

「本当にこの手術をしたほうがよいのでしょうか」

術前のカンファレンスで福井氏が放った一言に緊張感が漂う。しかし、鈴木氏はその意見に真剣に向き合い、なぜ手術をするべきなのかを丁寧に説明してくれた。その上で「もう一回患者さんと話してみよう」と言った。

しかし、患者の決意は変わらなかった。患者との信頼関係を十分に築いた上で、適応外の難手術にも応えられる。そんな技術力を持つ鈴木氏の域に自分も達したい――。その強い思いが、今も外科医として厳しい研鑽を積む原動力になっている。

手術ができなくなる不安 3度の育休からの復帰

赴任して4年で1人目の子どもを出産。仕事には3カ月で復帰した。

「ここで手術から離れたら戻ってこられないかもしれない。だから、今、頑張らないと、と思っていました。それに一度離れたことで、働きたいという気持ちがより強くなっていました」

20時過ぎまで子どもを預けられる保育園を探し、学会や海外出張の時には夫の家族に来てもらう。保育料はかさみ、働くほど出費が増えたが「今は修練の時期」と、自らを鼓舞した。手術日には夜遅くまで手術の予定を入れ、育休前とほぼ同じ件数の手術を執刀した。周囲のサポートがあったからこそ、そこまでできたと振り返る。

朝は5時前に起きて、手術ビデオを見ながらイメージトレーニングをすることも欠かさなかった。その姿は、子どもを育てながら医師として学び続けた母の姿にも重なる。

復帰後、福井氏が力を入れたのが気管支鏡治療である。当直を免除された分、他の医師たちの負担になっている仕事をなるべく引き受けたい。率先して勉強し、気管支鏡の専門医資格を取得した。その姿勢を見た鈴木氏からは「人の3~5倍も努力している」と認められるほどだった。

そんな福井氏が、3人目を妊娠した時には初めて弱音を吐いた。せっかく頑張ってきたのに、また手術ができなくなるのか……。鈴木氏に不安を打ち明けると、自身が数カ月手術から離れた時の経験を話してくれた。普段はお互いにあまり感情を表に出すことがなかったが、「大丈夫だ」と背中を押してくれる気持ちが伝わってきた。

3人の育休期間を経て分かったのは、手術の感覚は取り戻せるということ。トレーニングを続けていれば、時間が経っても手は覚えている。

「男性医師でも留学や研究によってブランクができることはありますから、育休で手術から離れることを怖がらなくてもいい、そう今なら言えます」

名声よりも患者のために 目の前の患者を救う研究

福井氏の研究は、いつも臨床で生まれた疑問から始まる。最近取り組んでいるテーマは間質性肺炎だ。肺がんの術後死亡率は0.3~0.7%と少ないが、そのうち最も多い原因は間質性肺炎の増悪である。

ある研究によると肺がん手術では、肺葉切除よりも切除範囲の狭い部分切除のほうが、術後の間質性肺炎の急性増悪が少ないことが明らかになっている。しかし、福井氏は「安易な部分切除をしてはいけない」と教えられてきた。間質性肺炎の患者は肺の線維化によってきめが粗くなり、そこにがん細胞が入り込んでいることがあるという。福井氏はその説に対して「本当だろうか?」と疑問を持ち、調べ始めた。

すると、画像判定よりも病理判定のほうががんのサイズが大きくなっている症例が、かなりの数あることが分かったのである。画像だけで部分切除を選択すると、がんを取りこぼす可能性がある。それまで医師の経験値から判断していたものを科学的に調べることで、その正しさを証明したのである。この研究は国際学会でも反響があった。

また、福井氏はこれまで20本以上の症例報告をまとめている。特殊な病態の経過を伝えることは、他の医師たちの治療の助けになるからだ。

「以前、肺の部分切除をした患者さんで、翌日声帯の下に浮腫ができたことがありました。論文を調べると6例だけ症例報告が見つかって。教科書にも載らない稀な合併症ですが、報告してくれた人がいたおかげで治療につながりました」

手術が最善の治療法だと信じているからこそ、手術によって状態が悪化する患者を1人でも減らしたい。福井氏の研究の軸にあるのは、外科医としての矜持なのだ。

医師・母として迷いを越えしなやかに頂へ

子育てとキャリアを両立してきた福井氏だが、今でも「周りに迷惑をかけているのではないか」「母としてしっかり子どもと向き合えているのか」と、不安になることがあるという。支えになっているのは、「努力に憾(うら)みなかりしか」の言葉だ。

「十分に努力をしたのかという意味で、いつも自分に問いかけています。厳しい言葉のようですが、まだまだできることがあると思えると、迷いが消えて頑張れる」

一番上の子どもは12歳になり、母が生き生きと仕事に向かうのを応援してくれている。時代の流れに合わせて働き方も変わった。効率化を図り、無駄を省いたことで、以前より時間に余裕が持てるようになった。かつての生活を犠牲にする外科医のイメージはもうない。

本人はまだまだと言うが、鈴木氏が執刀するような難症例を任される機会も増えてきた。ゆっくりと、だが確実にトップランナーの道を歩んでいる。

「女性でも、年齢を重ねても、ずっとワクワクを感じられる外科医の魅力を後輩に伝えていきたい」

そう話す表情は明るい。呼吸器外科領域では、世界に誇る日本のトップ術者たちの技術革新により、さらなる手術の縮小化が進んでいる。その一方で、開胸手術をしなければならない化学療法や放射線治療後の超難症例も増えていく。あらゆる選択肢から最善の治療法を提供できることが「外科医の腕の見せどころ」だと言う。

自分の手で患者を治し、笑顔にする。技術を磨いて、さらに難しい手術に挑戦する。呼吸器外科医を目指した時に感じた“楽しさ”は、今も変わらず続いている。

P R O F I L E
プロフィール写真

順天堂大学医学部附属順天堂医院 呼吸器外科 准教授
福井 麻里子/ふくい・まりこ

2005 新潟大学 医学部医学科 卒業、新潟大学・新潟大学関連病院 初期研修
2007 新潟大学医歯学総合病院 心臓血管外科・呼吸器外科(第二外科)
2008 新潟県立中央病院 胸部外科
2009 新潟県立がんセンター新潟病院 呼吸器外科
2010 順天堂大学医学部附属順天堂医院 呼吸器外科 助手
2015 同院 呼吸器外科 助教
2019 同院 呼吸器外科 特任准教授
2022 同院 呼吸器外科 准教授

資格および役職

外科専門医
呼吸器外科専門医
ロボット手術(プロクター)
呼吸器外科学会評議員
日本外科学会指導医
気管支鏡専門医
肺がん学会評議員

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2026年6月号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。

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