試練を力に変え、人と知をつなぎ、患者の未来を支える腎臓内科医 塚原 知樹

医師のキャリアコラム[Challenger]

塚原 知樹(医療法人 徳洲会 湘南鎌倉総合病院 腎臓病総合医療センター 腎移植内科 部長)

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/佐藤恵 撮影/皆木優子

加齢や生活習慣病との関連が強く、新たな国民病とも言われる慢性腎臓病患者は国内に1300万人以上と推定され、成人の約8人に1人に当たる。末期腎不全になると腎代替療法として人工透析か腎臓移植を検討するが、人工透析患者が約34万人なのに対し、腎臓移植件数は年間2000件ほどだ。

日本で腎臓移植が始まったのは1960年代。生着率・生存率ともに高いが、ドナー不足もあり移植件数は世界に比べると決して多くはない。しかし腎移植内科医の塚原知樹氏は、「ドナー、レシピエントの移植前・移植後の管理をしっかり行えば、腎臓移植は最も有効な治療法です」と語る。

移植医療の進むアメリカで移植前後の管理を学び、共に成長する“連携の森”を育みながら腎移植医療に力を注ぐ塚原氏。試練の連続を乗り越えてきたその歩みをたどってみたい。

文学青年から理転 臨床研修でもがく日々

医師を志したのは、「世界中の人たちと関われる仕事だから」。もともとは異なる国や言語、文化を比較しながら研究する比較文学に興味があったのだが、大学受験を目前に「理転」した。

「医学は科学とヒューマニズムの融合なので、理転と言っても大きく変わる感覚はなかったです」

慶應義塾大学医学部を卒業した後は、研修医教育に定評のある福岡の飯塚病院を選んだ。同院といえば総合内科のパイオニア。あらゆる患者が集まる環境の中で、幅広い症例を数多く経験できるのが強みだ。一方で、患者ごとに緊急性や重症度を見極めながら、適切な検査のタイミングや治療方針を実践の中で学ぶ厳しさもある。まるで激流に放り込まれたような日々。「できないこと」に気付かされる毎日の中で、塚原氏は努力を重ねていた。しかし――

「私はとにかく仕事が遅く、医師には向いていないと思い始めていました。そんな時、2年上の先輩がチーム結成直後に食事に誘ってくれたんです」

塚原氏の状況をすぐさま察知した先輩は、「医師の処理能力は最初の1、2年で大きく決まる。自分がどう行動するのかをしっかり考えたほうがいい」と助言した。この言葉は塚原氏に深く響いた。

「自ら考えて努力を重ねることでしか道は開けない、そんな仕事の本質を教えてもらったように思います」

アメリカで待ち構える試練 腎臓内科の深さを知る

臨床研修の後、2008年にアメリカ・ペンシルベニア州にあるアリゲニー総合病院の内科レジデントとなった。留学はかねてからの目標であり、海外で経験を積んで成長し、いずれは日本に戻って貢献したいと考えていた。英語力の上達を目指して英米文学を読み、スピーチやプレゼンテーションを学ぶためにトーストマスターズ・インターナショナルにも参加した。

「読書で語彙や文化などを丸ごと吸収し、トーストマスターズでは英語で考えて伝える力を鍛えました。レジデンシーでしっかり実績を残せばフェローシップにつながる。働きながら学ぶ環境として充実していました」

しかし、ここでも試練が訪れる。病院の経営悪化により姉妹病院との統合が決まったのだ。研修医の人数は倍増し、受け持つ患者数は半減した。優れた指導医たちは次々に病院を離れていく。不安を抱えていた塚原氏を鼓舞したのは、ナチスの強制収容所から生還した精神科医V・E・フランクルの著書『夜と霧』だった。死と背中合わせの日々でも生きる意味を問い続けたフランクルに心を動かされ、「厳しい状況だからこそポジティブに」「自分がよき教育者になろう」と気持ちを切り替えた。

そしてレジデンシー修了時には、後輩が選ぶ「Best Teacher Resident」と、最もプロフェッショナリズムを体現する研修医に贈られる「Professionalism Award」を受賞した。その後、次なる研鑽の場として選んだのは、全米でも優れた医学教育と診療で高い評価を受けるアイオワ大学病院の腎臓内科フェローシップ。ここで腎臓内科医としての道を歩み始めた。

同院では、指導医1人、フェロー2人、レジデント2人から成る5人のチームでコンサルト患者を受け持った。365日、毎日患者を診て、患者一人一人のカンファレンスを徹底的に行う。

「チームのメンバーとは常に行動を共にしていました。腎臓内科だけで行うカンファレンスは非常に内容が濃く、参加医師の考察の深さには圧倒されました。知識量が桁違いに増えていくのを実感し、腎臓内科の奥深さを理解できたのもこの時期です」

天井まで積み上がるほどの膨大な論文を読み、数え切れないほどの症例を経験して分かったことがある。腎臓内科で遭遇する症例の約8割は標準的な知識と経験があれば対応できる。しかし残る約2割の難症例には、その5倍ほどの知識と経験が求められる。さらに1%ほどの超難症例となると、その100倍ほどの圧倒的な知識が必要とされる。当時の塚原氏は、その1%の症例に挑める領域に手が届きつつあるという確かな手応えを感じていた。

アメリカの名門2施設で研鑽を積んだ塚原氏は、腎臓内科医としての確かな診療技術を身に付けて、2013年に帰国した。だがこの時には、まさか3度目の試練が待っているとは予想だにしていなかった。

未熟さを認められず袋小路に迷い込む日々

帰国後の塚原氏は、すぐに進むべき道が定まらなかった。沖縄の豊見城中央病院に2年、東京の練馬光が丘病院に1年、茨城のつくばセントラル病院に4年、神奈川の川崎幸病院に4年と、それぞれの医療機関で経験を重ねたものの、心の中には焦燥感があった。

「アメリカで多くの臨床経験を積んだとはいえ、日本では実務経験が少なく、医療制度や文化、働き方も全く異なる。今思えば、日本の医療を一から学び直す必要があったのに、自分の未熟さを受け入れられずにいた時期でした」

思うような成果につながらず、「もっと実力を生かせる仕事はないか、ほかにできることがあるのではないか」と自問し、袋小路に迷い込んだ。

「合わない靴を履いていると、靴のせいにしたり足が悪いと言ったりしたくなるものですよね。でも、本当は自分の履きこなし方が悪かった。それに気付くまでに長い時間を要しました」

しかし、苦しみながらも得たことは多かった。豊見城中央病院では、「急性・慢性腎臓病、透析、移植、どれかに偏らずに、腎臓内科医としての総合力をまんべんなく磨きなさい」と教わった。練馬光が丘病院では臨床と教育をバランスよく実践することの大切さを学んだ。つくばセントラル病院ではシャント手術の技術を身に付け、川崎幸病院では医療経営の視点を知ることができた。気が付けば帰国から10年が経っていた。

「リアルワールドを勉強するための時間でした。医師として一人前になるための時間、と言ってもいいかもしれません」

そんなある日、アリゲニー時代の上級医から「シカゴ大学病院に来ないか?」と声が掛かった。同院はハイレベルな腎移植センターを備えており、かねてから志していた腎移植内科を最前線で学べるのは魅力的だった。塚原氏は2024年、再びアメリカへ渡る決断をする。そして現在の専門領域である腎移植内科の門をくぐることになった。

2度目の渡米で移植医療の礎を築く

急激に腎機能が低下する急性腎臓病は、適切な診断と治療によって腎機能の回復が期待できる。一方、長期間かけて機能が低下した慢性腎臓病では、一度失われた腎機能を取り戻すことは難しい。そして腎機能があまりにも低下すると、透析療法か腎臓移植が必要となる。

塚原氏が専門とする腎移植内科では、移植前後のレシピエントとドナーの内科的管理を担う。慢性腎臓病の治療や透析を受けながら移植を待つ患者や、移植後の患者に加え、移植前後のドナーの健康管理を行う。

「日本では腎臓病の治療から腎移植までの連携が十分とはいえません。だからこそ、移植医療の進むアメリカで腎移植内科を学び、その経験を日本の腎移植医療に還元したいと考えました」

シカゴ大学腎移植内科フェローシップでは、レシピエントとドナー双方の移植前評価をし、生体腎移植と献腎移植の手術に立ち会い、移植後の外来まで幅広く受け持った。さらに、全患者の腎生検の病理診断や診断に基づく治療にも携わった。世界有数の移植件数を誇る施設ならではの環境で、日本では経験し得ないほど多くの移植症例に携わることができた。

アメリカでは、慢性腎臓病の治療から移植前管理、移植手術、移植後管理、定期的なフォローアップまでが一貫して連携し、患者を切れ目なく支える医療体制が整っていた。腎移植内科医として確固たる力を培った塚原氏は、こうした連携による腎移植医療を日本でも実現したいという思いを強くした。そして2025年、帰国した塚原氏が選んだのは、腎移植件数が国内トップレベルの湘南鎌倉総合病院だった。

「10年前の自分とは違う。2回の渡米、日本での診療経験の両方を生かそう」

そう心に決め、塚原氏は新たな一歩を踏み出した。

腎移植医療は“森” 広く根を張る連携

湘南鎌倉総合病院の腎臓病総合医療センターは、腎免疫血管内科、血液浄化センター、腎移植外科、腎移植内科、腎臓外科の5部門で構成されている。外来患者は約2万人、入院患者は延べ1万3000人、腎移植は年間40件を超える国内有数のハイボリュームセンターである。膠原病や血管炎などの全身疾患ならびに動脈硬化病変も積極的に治療し、高度で幅広い総合的な腎診療を行う。

“履きこなし方”を学んだ塚原氏は、すぐに周囲と馴染んで貢献を始めた。同センターでは、腎移植内科医と移植外科医、多職種が協働するチーム医療を展開する。4、5人の腎移植レシピエントコーディネーターが、患者と医療者をつなぎ、術前から術後までシームレスに支えている。

「腎移植医療は“森”のようなもの。医師や多職種という一本一本の木が集まり、それぞれが根を張り、互いに栄養を与え合いながら成長していく。私は指導的な立場でもあるので、若い先生たちが効率的に養分を吸収できるように意識しています」

腎移植内科では全身管理が必要なため、循環器内科や糖尿病内分泌内科、血液内科、腫瘍内科、感染症科などとの緊密な連携も欠かせない。

「シカゴ大学で学んだ教訓の一つは、『腎移植医療は1人の医師が統率するものではない』ということです。広く根を張るような他科・多職種との関係づくりが、患者さんも医師も救うことにつながります」

移植前管理の難しさの一つは、慢性腎臓病を診る主治医から腎移植内科医へ引き継ぐタイミングの見極めにある。残腎機能がある程度保たれている段階で移植が実施できれば、その後の生着率・予後は向上する。しかし、すぐにドナーが見つかるとは限らず、待機中に急激な腎機能低下から尿毒症を発症したりすれば、透析導入前の計画的な腎移植の機会を逃してしまう。

一方、移植後管理も決して容易ではない。免疫抑制剤の調整や感染症予防に加え、患者の精神的な負担を受け止めることも重要だ。

「移植後も生活の制限や精神的なつらさを抱え、外来で悩みや苦労を打ち明ける患者さんは少なくありません。心理士とも連携しながら、心身の両面を支えるケアが大切です」

科学とヒューマニズム 2つの力で患者を支える

腎移植内科医にとって最も重要なものとは何か。最先端の知識や卓越した手技かと思いきや、塚原氏の答えは意外にも「チェックリスト」だった。

「一見地味に思われるかもしれませんが、医療の質と安全を支える土台です。これがあれば、医師の経験や勘だけに頼ることなく、誰もが一定の水準で漏れのない診療が行えます。当院に着任後、当センターにも導入しました」

ある患者は、腎移植手術を受けて2日後に尿タンパクが検出された。腎機能には異常はなく、予期されなかった所見だが、腎移植後の尿タンパクは拒絶反応の初期兆候を示していることもある。チェックリストに従って一つ一つ確認していたことで異変を見逃さず、その日のうちに治療へつなげて事なきを得たという。

塚原氏がもう一つ大切にしていることは、「マインドフル・プラクティス」の実践だ。これはマインドフルネスの考え方を診療に取り入れ、医療者自身のレジリエンスや心身の充実を高めながらより良い診療につなげる考え方である。

「例えば、余命わずかな患者さんを診察した直後でも、足をぶつけて受診した患者さんを同じ集中力で診る。逆輸入された考えで、森鷗外も“全幅の精神”で患者を診るお医者さんを描いています。“いまこの瞬間”に全力で向き合うことは、患者さんにとっても医師にとっても大切なことです」

そんな塚原氏の医師としての原点は、アリゲニー総合病院で勤務していたころに遡る。塚原氏は、集中治療室で人工呼吸器につながれて話せない患者に、拙い英語ながらも毎朝声を掛け続けていた。一般病棟に移って患者と会うことはなくなったが、後日、退院した患者から1通の手紙が届く。そこにはこうつづられていた。

「絶望の淵にいた私に希望を与えてくれてありがとう。きっと神様が私のもとにあなたを遣わしてくれたのでしょう」

渡米したばかりの若いレジデントに、医師としてできることは多くはなかったが、それでも、目の前の患者にできることを精いっぱい続けた。その誠実な姿勢は確かに患者の心に届いていた。

「医師に求められるのは、知識や技術だけではない。ただそばに寄り添うことにも大きな意味がある。そのことを教えてもらった出来事です」

温かな人柄と確かな知識・技術で多職種との連携の根を広げ、不可逆性の臓器を守る腎移植内科医。“いまこの瞬間”に集中し、最善を尽くす。その歩みは、科学とヒューマニズムの両輪で、今日も患者の未来を支えている。

P R O F I L E
プロフィール写真

医療法人 徳洲会 湘南鎌倉総合病院 腎臓病総合医療センター 腎移植内科 部長
塚原 知樹/つかはら・ともき

2005 慶應義塾大学 医学部 卒業、飯塚病院 初期臨床研修
2007 手稲渓仁会病院 内科
2008 アリゲニー総合病院 内科レジデンシー
2011 アイオワ大学病院 腎臓内科フェローシップ
2013 豊見城中央病院 腎臓内科
2015 練馬光が丘病院 内科
2016 つくばセントラル病院 腎臓内科
2020 川崎幸病院 腎臓内科
2024 シカゴ大学 腎移植内科 フェローシップ
2025 湘南鎌倉総合病院 腎臓病総合医療センター 腎移植内科 部長

所属学会・専門医

日本内科学会 専門医
日本腎臓学会 専門医
日本透析医学会
日本臨床腎移植学会
米国内科学会 専門医
米国腎臓内科学会 専門医
米国移植学会

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2026年10月号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。

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