坂口志文氏はめったに喜怒哀楽を顔に出さない。常に超然と構え、向かい風の日に屈することなく、追い風の日に胸をそらすこともない。信じるところから微動だにしない男である。ところがその時ばかりは違った。
「これからはさまざまな批判に全て答えることができる」
自然と頰に笑みがこみ上げてきた。受話器を取って国際電話をかけた。時は1991年、坂口氏が研究の場をカリフォルニアのスクリプス研究所からカリフォルニア大学サンディエゴ校に移したころ。相手は日本に一時帰国していた教子(のりこ)夫人だ。マウスの世話から実験、分析、論文執筆まで共闘した研究の同志に伝えたのは、「免疫の働きを抑制する細胞のマーカーはCD25(細胞表面分子の第25番)である」という確証である。2人は静かに喜びを分かち合った。
発端は1977年、坂口氏が「胸腺をめぐる不思議な現象」を描く論文に魅せられ、京都大学大学院を1年で辞めて、その論文の研究者がいる愛知県がんセンター研究所へ移った時だ。その不思議な現象とはこうだ。
生後0日でマウスの胸腺を摘出すると免疫機能が働かず、数ヶ月以内に全てのマウスが感染症で死んだ。ところが生後3日で胸腺を摘出すると死ぬことはなかった。しかし卵巣が萎縮して卵巣炎が起きた。マウスの生死を分かち、病を引き起こすのは自己免疫病であった。ヒトでも自己免疫性卵巣炎は若年婦人の不妊の原因となる。
「そのメカニズムを知りたいと思ったのでね」
胸腺は心臓の上にある小さな器官で、マウスでは1.2〜1.5g、ヒトでも20gほど。出生後すぐに成長し、成人で最大になりその後縮小していく。そこで作られる免疫細胞がT細胞であり、そのメカニズムには未知な部分が多かった。
「正常なマウスから、ほんの少量のT細胞を除くと自分を攻撃する自己免疫病が起きる。なぜなのか?」
坂口氏がこの現象に魅せられたのには、歴史的な伏線がある。
医学生時代に、坂口氏は免疫が自分の臓器や組織を攻撃する「自己免疫」という現象や、妊婦の免疫系が胎児を異物とみなさない「免疫寛容」という現象に興味を抱いていた。後者は1960年にノーベル賞を受賞した2人の免疫学の巨人(Macfarlane BurnetとPeter Medawar)が創った概念である。
「免疫反応に『自己と非自己』という概念を持ち込んだのがBurnetでした。Burnetは、免疫系は『自己』を認識し、ウイルスやバクテリアに反応するのは、『外敵』だからではなく、『自分ではないもの(非自己)』であるが故に反応すると解釈しました。Medawarは免疫寛容が後天的に決まる、すなわち、獲得される。これを実験的に証明しました」
坂口氏は『免疫学的自己と非自己』という“創造的解釈”に魅せられた。
「しかし、彼らの概念でも実際の病気には説明できないことがたくさんあった。まだ混沌(こんとん)としていたんです」
例えば関節リウマチや膠原病などの自己免疫病がどういうメカニズムで起きるのか? 臓器を移植されたレシピエントの免疫系には何が起きているのか? 概念は興味深かったが実際の説明まではできなかった。
混沌の中の明かりは、自らの解釈から見いだした。