坂口 志文
純粋なる科学の冒険に踏み出せ!免疫のプリンシプルを覆した男(3)

大阪大学 特別教授 免疫学/分子生物学

『ドクターズマガジン』2019年11月号 ドクターの肖像

公開日:2025/10/09

2025年ノーベル生理学・医学賞を受賞された大阪大学特任教授の坂口志文先生に、心よりお祝い申し上げます。
坂口先生は、免疫の働きを調整する「制御性T細胞」の発見により、医学の進歩に大きく貢献されました。

メディカル・プリンシプル社発行の『ドクターズマガジン』2019年11月号「ドクターの肖像」にて、坂口先生をご紹介させていただきました。その記事を公開いたしますので、ぜひお読みください。

目次

ものごとを成し遂げるには 結構時間がかかるものです

Tregは文明論をも問う 後続に挑戦してほしい

坂口氏はなぜ「Regulatory T cell」と名づけたのだろうか?

Regulatoryには「制御する」という意味もあり、制御する対象は免疫の営みである。それは誰がしているのか? 自己なのか非自己なのか? 先天的なのか後天的なのか? どこからどこまで制御すると決まっているのか?

「1960年のBurnetとMedawarのノーベル賞受賞理由は、“獲得的な免疫寛容の発見”です(※4)。獲得的というのは、遺伝子レベルで決定されておらず後天的に獲得できる、免疫の境界線は動かせる、という意味です」

従来の免疫の考え方は「やっつけるか、やっつけないか」という直線的なものだった。いわば敵と味方に分かれて大将を取る将棋である。

「それは帝国主義的な考え方かもしれない」と笑う。一方、坂口氏が発見したのは、特定のT細胞を操作するとアレルギー反応も起き、腸内細菌にも反応し、自己にも反応し、他人の臓器を自分のものとみなし……とさまざまな反応をする細胞である。自己を非自己とみなし、非自己を自己とみなすこともある。その営みは直線的ではなく、ファジーである。

「こちらは囲碁の世界。黒が白になり、白が黒になる。自己と非自己の間の境界(threshold)を上げたり下げたりすることで、異なる反応を引き出せるのです」

そういう細胞がなぜ生まれてきたのか? と聞くと、坂口氏は手の平を開いて「人の指はなぜ5本あるのか?」と反問してきた。進化の過程で6本ではなく5本になったように、Tregも進化の過程で偶然生まれて、それが生存に有利とされたのではないかという。

「進化で一番重要なことは子孫を残せるかどうかです。つまり、幼少時代に免疫を獲得して、感染症などに強くなって、成人まで育つということです」

先進国を中心に自己免疫病やアレルギーが増えているのは、社会が衛生的になって免疫力が強くなくても生きていける、抑える方のTregは強くある必要がない、そうなるとTregが弱くなっていろいろな免疫病に対抗できなくなっているためではないか、と言う。果たしてそれは進化なのか、進化のアイロニーなのか? と坂口氏は警鐘を鳴らす。それは人々の心の健康にも当てはまりそうだ。自己を攻撃しすぎて心の病になる人が増加している。暴走する自己を抑える自己は自分なのか? それが真の自分なのか? Tregは文明論にまでその裾野を広げる。

坂口氏は「規定する」「調節する」「取り締まる」と訳されるRegulatoryという含意の多い言葉を用いて、後続の人々に挑戦してほしいと願いを込めたのではないだろうか。

※4 The discovery of acquired immunological tolerance.

40年費やしたワンテーマに研究の真の喜びがある

振り返れば、坂口免疫論の打ち手は、碁というよりもオセロであった。最初の解釈を死守しつつ、証拠をじわじわと「しきい値(threshold)」まで積み重ねて、黒から白へと一気に全てをひっくり返して見せた。いつの時代でも、偉大な科学とはそういうものである。

いや、覆したのは免疫論だけではない。坂口氏はこれまでの科学者の歩み方も覆してきた。仮説・実験・立証という一般的なプロセスに、事実を「解釈する」大切さを盛り込んだ。科学の歴史を解釈し直し、科学的メカニズムを哲学から捉える斬新さがあった。常に最新の技術を使うことが突破口になることも示した。それらが40年を費やしたワンテーマを継続できた理由である。

「免疫学のテーマはまだ『露天掘り』です」

坂口氏は波乱万丈の科学の冒険道を歩み、免疫の教科書を書き換えるテーマに知的好奇心を注ぎ込んできた。そこに真の喜びがあることを訴え続けてきた。その喜びのテーマはまだまだ尽きないということを「露天掘り」という言葉で表現したのだ。坂口氏は今、サイエンス・オセロ盤の向こう側で、科学者の子孫に向かって「ひっくり返してごらん」と次の打ち手を待っている。純粋なる科学冒険者の静かな笑みをたたえて――。

文/郷好 文 撮影/松村 琢磨

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