坂口氏はなぜ「Regulatory T cell」と名づけたのだろうか?
Regulatoryには「制御する」という意味もあり、制御する対象は免疫の営みである。それは誰がしているのか? 自己なのか非自己なのか? 先天的なのか後天的なのか? どこからどこまで制御すると決まっているのか?
「1960年のBurnetとMedawarのノーベル賞受賞理由は、“獲得的な免疫寛容の発見”です(※4)。獲得的というのは、遺伝子レベルで決定されておらず後天的に獲得できる、免疫の境界線は動かせる、という意味です」
従来の免疫の考え方は「やっつけるか、やっつけないか」という直線的なものだった。いわば敵と味方に分かれて大将を取る将棋である。
「それは帝国主義的な考え方かもしれない」と笑う。一方、坂口氏が発見したのは、特定のT細胞を操作するとアレルギー反応も起き、腸内細菌にも反応し、自己にも反応し、他人の臓器を自分のものとみなし……とさまざまな反応をする細胞である。自己を非自己とみなし、非自己を自己とみなすこともある。その営みは直線的ではなく、ファジーである。
「こちらは囲碁の世界。黒が白になり、白が黒になる。自己と非自己の間の境界(threshold)を上げたり下げたりすることで、異なる反応を引き出せるのです」
そういう細胞がなぜ生まれてきたのか? と聞くと、坂口氏は手の平を開いて「人の指はなぜ5本あるのか?」と反問してきた。進化の過程で6本ではなく5本になったように、Tregも進化の過程で偶然生まれて、それが生存に有利とされたのではないかという。
「進化で一番重要なことは子孫を残せるかどうかです。つまり、幼少時代に免疫を獲得して、感染症などに強くなって、成人まで育つということです」
先進国を中心に自己免疫病やアレルギーが増えているのは、社会が衛生的になって免疫力が強くなくても生きていける、抑える方のTregは強くある必要がない、そうなるとTregが弱くなっていろいろな免疫病に対抗できなくなっているためではないか、と言う。果たしてそれは進化なのか、進化のアイロニーなのか? と坂口氏は警鐘を鳴らす。それは人々の心の健康にも当てはまりそうだ。自己を攻撃しすぎて心の病になる人が増加している。暴走する自己を抑える自己は自分なのか? それが真の自分なのか? Tregは文明論にまでその裾野を広げる。
坂口氏は「規定する」「調節する」「取り締まる」と訳されるRegulatoryという含意の多い言葉を用いて、後続の人々に挑戦してほしいと願いを込めたのではないだろうか。
※4 The discovery of acquired immunological tolerance.